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2008年6月17日 (火)

羞恥心

(今に尻尾が生えてくるんじゃないか?)

そう思うほどTVばっかり見ている僕は、
子供の頃からの生粋のTVっ子である。

年齢を重ねるにつれ好む番組の内容は変遷を辿っており、
子供の頃はアニメや実写のヒーロー物、学生時代は歌番組やお笑い、
社会人になってからはドラマやスポーツや情報バラエティー、そして
最近ではニュースや経済番組やドキュメンタリー、といった具合だ。

それぞれの時代に、その背実に映し出されていて
(あの頃はよかったなあ)な〜んて昔に思いを馳せると同時に、
近頃の「厳しい状況」を実感する度、密かに胸を痛める次第である。

その象徴はやはり「クイズ番組」であろう。

「おバカタレント」と呼ばれる芸能人が出てきて、彼等の
「珍回答」で笑いを取る、という図式を見ていると
「希薄で空虚な現代社会」が
浮き彫りになってくるような気がしてとてもツラい。

クイズ番組は基本的に
1「一般人の秀才を賞金(品)目的で競わせる」
2「芸能人をゲーム的要素で競わせる」
3「芸能人に対し興味深いテーマを元に出題する」
というパターンが主だが、昔はどれも企画の面白さが目立った。

例えば
「クイズタイムショック」「パネルクイズアタック25」
「アメリカ横断ウルトラクイズ」「クイズ100人に聞きました」
「世界まるごとハウマッチ?」「なるほどザ・ワールド」
「ぴったしカンカン」「ヒントでピント」「平成教育委員会」などなど。

ところが最近、見るともなしに見ている限り
当たり前の一般常識問題に「天然ボケ回答」をするタレントが続出。
それに対し出演者や司会者や観客が笑うシーンが目立つが、
かなりの違和感を受けるのは果たして僕だけだろうか。

「イマドキの若いコ達」が、あれだけ堂々と
知識の無さをひけらかしている姿を見ても決して笑えないし、
「ゆとり世代」とか「新ニッポン人」という言葉を連想して
この国の将来が不安になってしまう。

思うに「羞恥心」とは、
「つつましさ」など共にどんどん希薄になっていく、我が
「ニッポン国民」特有の感情なのではないだろうか。

「嫉妬心」や「羞恥心」って、なかなか感じる機会が少なくて
かれこれもう何年もの間経験していない僕なんか、具体的に
それがいったいどういう感覚だったか?ということを
忘れてしまいそうでなんとなく恐かったりもする。

制作費の安価な「クイズ番組」が流行るのは
景気が悪い証拠とも聞く。
しばらくは厳しい状況が続くという
覚悟をせねばならないかもしれない。

それと平行してとても気になるのは、昼間の時間帯の
「保険会社のCM」の数の多さである。

約一年仕事をしていない僕は日中もTVをよく見るが、
「まずはお電話下さい」というフレーズのその手のCMの
あまりの多さと内容の「ワンパターンさ加減」に、
思わず発狂しそうになることがしばしばなのだ。

そこから連想するのはやはり
「少子高齢化」という時代の流れであり、そのうちにニッポンは
ジジイとババアだらけの弱〜い国になってしまうのでは?と思うと
自分がヨボヨボになってしまう時代のことを
憂う気持ちで胸がいっぱいになってしまう。

海外移住を真面目に検討する中、
某「ウォシュレット」や「スーパー銭湯」と並んで僕にとって
必要不可欠だったはずの「ニッポンのTV番組」も、
(う〜ん、そうでもないかな....)と思えてくると
「いよいよ」ということになるわけだ。

タイや中国に行ってみて、国民一人一人の
「生きるパワー」を感じるとともに、さまざまなシーンで
「昭和中期のニッポン」に似た勢いを目の当たりにし、
その時代に生まれ育った僕としては
(昔はよかったなあ)と思わざるを得ない。

何もかも簡単に手に入り、ある意味
成熟しきってしまった感のあるこの国では
「物のありがたみ」や「生きる喜び」そのものが
希薄になってしまったのだろうか。

それはある意味仕方のないことなのかもしれないが、
「無差別的な犯罪」の犯人の発言などを聞いていると、
ただ単に「時代のせい」にはできない気がする。

そして、最も恐ろしいのは
「おバカタレント」のことを平気で笑っていられる
「オトナ達」の「危機感の無さ」なのではないだろうか。


あかんあかん。
なんだか暗〜い話になっちゃったぞ。

このコラムの趣旨はそんなのではなく、
「世知辛い世の中を笑い飛ばす」のがメインテーマなのに....。

実は、7月から「サーチャージ」が値上がりすると聞いて、今月
再び二週間ばかりタイに行ってくるのだが、
帰ってきてからまた激しく落ち込むのだろうと考えると
今からとても心配なのだ。

ここ一週間ほどタイ語の勉強をしてて
(案外イケるかも?)なんて思い始めている自分がコワイ。

「引き止める要素」が何もない今、僕の心はもうすっかり
アジアの新興国に向かってしまっている。

消費税も10%に上がりそうだしなあ....。

まいっか。
どっちにしろ僕がいなくなったって、
この国は何も変わらないだろう。

後のことは任せるからがんばってくれたまえ!


羞恥心を持つ
若者たちよ。

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2008年6月 7日 (土)

充電病には電池パック

某「日テレ」が開局55周年のようで、
そのこと自体はまあどうでもよいのだが、
「eco」についていろいろと特集をしているので
せっかくだからちょっと乗っかって、たまには少し
「まじめな話」もしてみようかな?と思う。


こう見えても「地球環境」のことについては、
自分が住む星である以上当然興味を持っているし、
知らぬ間に(?)もうすっかりオトナになってしまったので、
これからの若い世代のためにも、僕なりに
「できることはしていきたい」という意識は常にある。

とは言っても
「マイ箸を持つ」とか「ゴミはきちんと分別」とか
「エレヴェーターを(なるべく)使わない」など、
ごくごく基本的なことしかしていないのが現状だが、
今の時点では、そうやって
「意識することが大切」と思っている。


さて、普段のフットワークは軽いが
「石橋を叩いても渡らない」ほど堅実な一面も持つ僕は、
「備えあれば憂いなし」ということわざに忠実だったりもする。

例えば「(充電用)電池パック」は必ず予備を持つ、とか。

この「充電池」というものは、
「繰り返し何度も使える」というところがとても
「eco」なわけであるが、使い方を間違えれば
「充電をやたら繰り返す」ハメになり、かえって
電気をたくさん消費することになりかねないのではないかと、
僕は危惧しているのだ。

そう。
いわゆる「充電病」のことである。

ヴィデオカメラならば当たり前かもしれないが、
ケータイの電池パックの予備を持っている人は意外に少ない。

理由はヴィデオと同じであり、もし充電が切れた時
「満タンになった予備の電池」を持っていれば、入れ替えて
すぐに使うことができるわけだから、とても安心だ。

充電池というのはその性質上、
「満タン(まで充電)」→「0(まで使い切る)」→「満タン」→「0」
という使い方のほうが効率がいいと聞く。
こうやって使い続ければ何百回も保つはずなのだ。

ところが、今流行りの「充電病」の人々は、
ケータイの充電状態が常に「満タン」でないと不安になるらしく、
「減ったらすぐ充電」をひたすら繰り返す。
電源があればすぐ充電、家では充電器台の上に置きっ放し、
という感じで電池パックに電気を送り続けるわけである。

そのような使い方では、充電池の容量がだんだん減ってしまい、
「満タン」→「0」の時間が短くなるので、さらに充電が必要になり、
最終的には電池パックの寿命も早くやってきてしまう、
ということになるのだ。

意味分かるかな?

ちなみに僕の場合は、
1電池が切れると
2持っている予備の電池パックに交換して
3そのまま使い、
4家に戻ったら深夜(電話が掛かってこないだろうと
思われる時間)に一度電源を切り、
5空になったパックと入れ替えて充電、
6満タンになったら途中まで使ったパックに戻し、
7再び電源を入れる。
という行動を繰り返している。

そうすれば片方ばかりを使うこともなく、
電池の寿命も伸びるのではないかと思う。

あと、電源をつけたまま充電するのもよくない気がする。
機械もたまには休ませてあげないとね。

けっこう面倒なように思えるかもしれぬが、
「7」から「1」までの時間がすごく長いので
(場合によっては一週間)全然問題はない。

ま、僕はあまり電話が掛かってこないからだけど、
ヘヴィイユーザーでも二日くらいは保つと思うよ。

もちろん予備の電池パックを購入する必要はあるが、
2〜3000円程度で「安心」が買えるなら安いものなのでは?

「満タンにしたままの状態では放電してしまう」という
心配もあるが、実際に使っていてもさほどではない気がする。

それよりも問題は、(電池パックが)長持ちするため
新しい電話機に替えてもまだまだ使える状態であり、
一つが無駄なのでは?ということだが、いらなければ
同じ機種の友人にあげればいいし、そもそも
そんなに早く機種変更をする必要があるのか?って話である。

僕の家の引き出しにも古い機種のケータイが二台眠っているが
実はこれ、結構「価値のある」ものらしいのだ。

「液晶パネル」や「レアメタル」などの部品は、当然
「リサイクル」できるわけであり、ニッポン中の
「使用済みケータイ」を集めたらかなりの量なはずだし、
そういうものだって貴重な「資源」であることは間違いない。

「eco」の観点からいけばこっちの方が問題であり、
これらを掘り起こすため
「チャリティーライヴ」などのイヴェントを企画して、
入場チケット代わりに、使っていないケータイを持ち寄らせて
スポンサーのリサイクル業者と一緒に
某「unicef」辺りに寄付でもできないか?
な〜んて考えたくらいだ。

ま、中に残っているデータや「写メ」などが気になるかもだが、
そんな「想い出」もついでにリサイクルしてしまえばいーのだ!!

とにかくニッポンは贅沢な国なので、そんな感じで
「眠っている資源」がきっとたくさんあるに違いない。

そういうものをうまく活かしていくことが、いかにも
ニッポンらしい環境問題対策のひとつだと、
僕は思うんだけどね。

というわけで、充電病の人におかれては
「予備電池パック」の件を是非お試しいただきたい。

電池を入れ換える度に
「eco」を意識できるではないか。

もちろんいくら電池パックが売れたところで、
僕に「バック」なんて入らないから大丈夫だよ。

「ego」のために
「eco」を押し付けるようなことなんて
しないからさ。


なんてね。

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