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2010年5月28日 (金)

パイティアオパタヤ

「ちょっとパタヤに行ってくるわ」


アパートのセキュリティーのおっさんに声を掛け、
出発したのが水曜日の午後八時過ぎ。

月曜日の夜で終わるはずの外出禁止令は、
次の日にまたまた延長され、結局金曜日までとなった。
深夜00:00〜04:00の短い間とは言え、
ディスコやパブ、バーやカラオケなど深夜営業の店にとっては
営業妨害以外のなにものでもないし、客側のオレ達としても
「まったく、いい加減にしてくれよ」という気持ちだった。

最近仲良くしていたSちゃんが、金曜午前に
ニッポンに一時帰国するらしく、理由は
実家が引っ越すことになり荷物をなんとかしろという話で、
いつまでもタイに居ることに関し、母親からは
かなり強行に反対されていると聞く。

せっかく友達になったニッポン人が完全帰国してしまうのは、
こっちに骨を埋める気でいるオレにとってやや寂しい話であり、
「なんとか戻っておいでよ」と言葉で説得もするし、
名残惜しくさせるよう協力もする。

だから残り三日となった時、つまり外出禁止が解けるはずだった
火曜の夜は、ずっと家に居てツライ思いをしていただろう彼と一緒に
「パーッ」と遊びに行って憂さ晴らしにとことん付き合うつもりだった。

「超ディスコ好き♪」のSちゃんはオレの知る限り週に八度くらいは、
ディスコに出掛けるツワモノであり、そんな彼が長い間ずーっと家で
「悶々」としていたであろうことを考えるとこっちまでツラかったし、
基本ヲタクのオレでさえ、そろそろムズムズしてきていたから。

ところが突然の(外出禁止)延長である。

しかも政府は、違反者に対し「二年以下の禁固刑」および
「40000バーツ以下の罰金」などという厳しいことを宣っており、
「困ったもんだよなあ」と、ソイカウ(ボーイ)のゴーゴーバーにて
「ブーブー」文句を言いつつ、そんな状況下でも
「アングラ営業」しているツワモノディスコはないものかと、
その手のことに詳しいTが方々に電話して探していた。

つまり建物の中にさえいればいい訳で、いつものように
「朝までディスコで飲んでいればばタイホされることもない」
という理屈だ。
ま、店が手入れを受ければ一巻の終わりだが、この際
そこまで深く考えてもしょーがない。

しかし、結局どこもダメで、例え営業していても
ゴーゴーバーなどと同じく外出禁止の一時間前の
「午後十一時には終了」という話だった。

「午後十一時に閉まるディスコなんて!!」

オレ達がいくら叫んだところで覆るわけでもない。
仕方なくその日はすごすごと家に帰った。


夜中にSちゃんから電話があり、
「T君と<パタヤに行こう>って話になりまして」と言う。よーするに
こうなったら唯一外出禁止令から除外されているパタヤの歓楽地
「ウォーキングストリートを攻めよう」ってことだ。

「なるほどね」
次の日ゴルフだったオレは返事を保留にしたが、
決して悪くない提案だと思った。

ただ、朝起きると空一面曇りで、
「とりあえず行こう」とバイクで出たものの、十分ほどで
いきなり大雨が降ってきたので、仕方なくゴルフ場に
キャンセルの電話を入れ、一時間以上雨宿りしたが
いつまでも降りやまず、少し小雨になってから
「濡れネズミ」のように家まで戻った。

いよいよ「雨季」に突入したので、
バイクを運転する以上レインコートは手放せず
雨に濡れることくらい覚悟の上ではあるのだが、
一日のうちたった二、三時間しか降らない雨に
運悪く当たってしまうとあまりいい気分ではない。

「車が欲しいなあ」

雨宿りしながら思ったものである。

そんなタイミングでTから電話があり、
「二時過ぎにはエカマイを出ますから」と言われるが、
一時間ちょっとで準備して
「ビーチに遊びに出掛ける」ようなテンションではなかった。

「Sちゃんのことよろしく頼む」と電話を切り、いつものように
宅配DVDレンタル屋さんに注文する。
「F1モナコGP」と、観るネタがない時のためにメモっておいた
昔の映画のナンバーをチェックして
「20世紀少年」三本にした。

「何故そんな邦画を?」と自分でも思ったが、
外出禁止令のため時間があり過ぎて、もうすでに
観たい映画がなくなってしまっていたのだ。

原作の漫画は(途中までだが)読んでいたので、別に
大した期待もしていなかったが、あまりにもつまらなさ過ぎて
「うーっ」ってなっていた時、再びTから電話が。

「今からシャワー浴びて着替えて、
ウォーキングストリートへ行ってきま〜す♪」
「ちぇっ。なんだか楽しそうだなあ」

時計を見ると午後七時五十分。

「よし。オレも今から行く」

この間買ったメッセンジャーバッグに
Tシャツとパンツとソックスを入れ、シャワーも浴びず
「夢の街パタヤ」に出掛けたのだった。


バスに乗って落ち着いてみると、
けっこう忘れ物があるのに気付く。

Sちゃんが翌日早めに戻って来ないとならないらしく、
「特に何も持たなくても」と思ったのだが案外そうでもない。

「最近お気に入りのピーナッツ」とか、
「青い錠剤」とかは持って来たくせに、
よく考えてみたらなんと五つもあった。

1「ヤードム」
「POY-SIAN」という商品名の鼻に突っ込んで「スースー」するヤツ。
出掛けるときいつも持ち忘れてその度にコンビニで買うので、
在庫がどんどん増えて行く。

2「アイマスク」
ちょっとでも明るいと寝られない気の小さいオレは、
バスの中や朝日が昇ってからの部屋では
これがないとダメなのだ。
暗いうちに寝たとしても、カーテンが薄っぺらい部屋だと
明るくなって目覚めてしまうので困る。

3「水着」
もしホテルにプールがあれば
一泳ぎしない手はないではないか。

4「日焼け止め」
いかに雨季であろうと紫外線はキツい。
まして日光浴するのならば必需品だ。

5「ローション」
化粧品ではなくいわゆる「海藻」ローションだ。
尊敬する松本人志大先生もこれを持ち歩くと聞いたことがあり、
どうせ使用目的は同じに決まっているからちょっと嬉しかった。

たった一日パタヤに遊びに行くだけとは言え、いずれも
大変重要なものであり、もっと落ち着いて
用意すべきだったと悔やむ。

しかし、久しぶりの夜遊びへの期待でテンションは高く、
同じような気分の若者達とちょっとおしゃべり。

Aルベルトは坊主頭のイケメンであり、
「マドリードから来た」と聞いて、
(アカン。サッカーの話だけはゼッタイにできないぞ)と身構えたが、
明らかに「キマッ」ている彼はかなりのハイテンションで
ずーっと喋りまくっていた。

パタヤで8000THB/月の部屋に住んでいるそうで、
数週間前に来た時、ドイツからのエアチケットがなんと
190ユーロだったと言う(どこの空港かもエア会社も不明)。

サーチャージは別だろうがそれにしても約23000円は激安だ。
「おカタい」ドイツは「赤服デモ」が始まった時も、一番最初に
「渡航規制」を出していたらしいから、売れないチケットが
安くなるのは当然かもしれない。

本国スペインとタイの往復は高いため、一旦
ドイツに行ってから来たのだろう。
「スペイン→ドイツ」なら格安航空会社で安く行けるに違いない。

もう一人のフィンランド人(名前忘れた)は
大してカッコ良くもなかったがこう言っていた。

「ガールフレンドがたくさんいるんだけど、彼女達がうるさいから
パタヤに逃げようと思ってさ」

よーするに、外出禁止令で女子連中がヒマを持て余して
「家に遊びに行く」とか言ってくるのを避けるためだろう。
そう言いながらそのうちの一人を連れていたが、
彼女は白人だった。

やはり長い時間一緒にいるのは、
コミュニケーションの取りやすい女子ということになるのか。

そういった意味ではオレの場合なら当然
「ニッポン女子」ということになるが、タイに来てから
「このコと一緒に居たい」と思えるような女子となんて
まったくお目にかかったことなどない。
そもそもニッポン女子がイヤでこっちに来た
という側面もあるくらいだし。

だからそのフィンランド男子の気持ちがオレにはあまり
理解できなかったが、よく見ればやや
「しゃくれ気味」ではあるが、その美しい金髪と
薄いグリーンの目を見ていると、まあ
ガールフレンドがたくさんいるのもわかる気がした。

陽気なヤツだったしね。
そう。決して外見が全てではないのだ。

とにかくファラン(西洋人)は皆明るいし
コミュニケーションの取り方がウマい。
二人共英語は「ペラペ〜ラ」だし、
話のネタもたくさん持っていた。

それに比べ、ヲタクニッポン人のオレは
英語もダメだし、コミニュケーション下手で
まったく自己嫌悪だ。

やはり海外で暮らす限り
英語は必須条件だな。


そうそう。
そーいえば前から書こうと思っていたのだが、最近、
韓国「ガウリー(3323)」がスゴイことになっている。

まず、在タイ韓国人がやたらと多い。
仕事で駐在している人数を入れればもちろん
ニッポン人の方が多いが、旅行で訪れたり
遊びに来て長期滞在しているのは、おそらく
「コンガウリー(韓国人)」の方が圧倒的に多いと思われる。

顔は似ているから判断しにくいが、
ファッションを見れば一発でわかる。
街を歩いていても、ディスコでもデパートでもカオサンでもとにかく
どこにでもいるのだ。

そして彼らは例外なく英語を話すし、
英語を話せればタイでのコミュニケーションに
さほど困ることはない。
「英語プラス少しのタイ語」で充分イケるのである。

そして、こっちで流行っている歌は
「タイポップス」以外、ほとんど
「韓国ポップス」なのだ。

今なら
「ソリソリソリソリニキニキニキニキ(sorry)」とかいう
コリアンアイドル男子グループの歌で、ちょっと前なら
「nobody」という某「ワンダーガール」の曲が、
どこへ行っても必ず流れていた。

「ガールズジェネレーション」「アフタースクール」
「seclet」「Ali」などなど韓国のアイドルグループや
シンガーの人気はとにかくものスゴいし、ニッポンでなら
「東方神起」が圧倒的人気だった(解散?)。

つまり、ニッポン人の歌が街で流れていることはまずないわけで、
あるとしてもだいたいは「スキヤキ」か「昴」、もしくは
日本料理屋さんでスタッフが持って来ただろうCDの
おざなりな曲を聞く程度。

タイピープルにとっては、ニッポンのミュージックシーンや
アイドル達などまったく興味がないのである。

それより今、時代は韓国。

当然のことながら、ファッションやメイクなども
ほとんどが韓国の真似といってもいい。

コワいのは、液晶テレビや冷蔵庫エアコンケータイまで、
「SAMSUNG」「LG」に完全にヤラレてしまっていること。

ニッポン人のオレはもちろん、その手のものは
「ニッポン製」しか買わないが、住んでいる部屋のエアコンは
「LG」だし、友達の家に行ってもTV冷蔵庫はほとんど
「SAMSUNG」「LG」なのが実情なのだ。

ケータイはそもそもニッポン製のものがないから仕方がないが、
車デジカメヴィデオカメラパソコンを除いて、ほとんど
韓国製品にヤラレている。

理由は簡単だ。

まずは一つ。
勝負に負けている。つまり実力で
「ヤラレて」しまったということ。
「液晶TV」でも「アイドル」でも、今や
「名実共に」韓国の方が優れているのだ。

もう一つは発信。
ニッポンのケータイが他の国で売っていないのは、
「国内で独自路線に追われてしまって」いるからであり、
ニッポンが世界標準を受け入れさえすれば、世界中で
ニッポンのケータイは一番人気になれるはず。

よーするにニッポンは未だにある意味
「鎖国」しているのだ。

韓国では昔から若者の英語教育や海外留学、
文化向上のバックアップなどに対する投資に余念がない。
だから、海外に出る若者達は多いし、そのまま活躍したり、
海外での経験を活かし国に戻って貢献する人間が当然たくさんいる。

中国も最近はそういう傾向のようだ。

では、ニッポンはどうか。

ちなみに、韓国も中国も24時間放送の
「カルチャー紹介番組」のチャンネルを持っており、
当然ながら全て英語もしくは英語字幕で、当然
タイでも放送している。

ニッポンの場合は某NHK国営放送。

この三国を比べると、韓国の某
「KORIAN'S GROBAL TV(arirang)」は、
ニッポン中国とはまったく別物だ。

MCは若い男女で、出てくるのはアイドルばかり。
紹介するのも音楽やファッションや、タイピープルの好きな
「ゴシック系」と若者のカルチャーが中心なのに対し、
ニッポンはご存知の通り一般的ニュースと、
わけのわからないカルチャーがほとんど。

どちらかと言えば、
中国とニッポンはかなり似ている。

海外で暮らしてこういう現状を目の当たりにしていると、
本当に心の底から将来のことがコワくなるのだ。

「鎖国ニッポン」は、そのうち
世界中からおいていかれる。そして
「食い物」にされ「身ぐるみ剥がされ」るのがオチだろう。

ああコワイコワイ。

とにかく、 数年前にソウルとクルングテープが
「姉妹都市提携」して関係を深めていることも含め、
「韓国にやられっ放し」なのには参ってしまう。

彼ら韓国人がノンヴィザで三ヶ月滞在できるのに対し、
ニッポン人は最初一ヶ月、一度国を出ても陸路で戻るとたったの
「15日間」しか延長できないのだ。

そのことが悔しくて仕方がない。


さて、二時間ちょっとでバスはパタヤに到着。
ソンテオに乗り十分ほどでかの有名な
「ウォーキングストリート」へ。

夜は歩行者天国のその通りは、
左右に華やかなネオン煌めく魅惑の街。
バービアからはエロエロ制服女子が手招きし、
ゴーゴーバーの店内にはいずれも大きなバスタブがあり、
「泡泡」の入浴ショーが常時繰り広げられている。

次々と膝の上に乗ってくる裸に近い女子達と、
耳許で会話しながらお目当てのコを探す。

ただ、目の肥えてきてしまったオレにとって
「そんなに可愛いコはいないなあ」というのが正直な感想であり、
地方都市から出稼ぎに来ているタイガール達を、
今さらどうこうしようという気にはさほどならないわけで。

「とりあえず踊りたいんだよなあ」

五軒ほどゴーゴーバーをハシゴしたが、三軒目あたりからは
客席で立ち上がって音楽に合わせ腰を左右に揺らせるオレ。

「ディスコはどこがいいの?」といろいろリサーチするが、
「ハリウッド」「ルシファー」「インソムヤ」など、
聞いたことのあるような名前ばかりで(クルングテープにもある)、
あまり目新しいことはなさそうだが、とにかく
Sちゃんの帰国前最後の夜なので、なんとか
「テンションをアゲる」のに勤めるのであった。

結局、オレが連れていたコが19才だったため(相変わらずだな)、
「IDチェック」のない某「ハリウッド」に。
「ジョニ赤」の1Lは990THBと若干安めだったが、
ディスコ内の雰囲気といいかかる曲といい、
クルングテープと大差なく、そして廻りには
コンガウリーの団体ばかりだった。

さんざん酔っぱらって朝方ホテルに戻り、一泊750THBの部屋で
相変わらずのしょっぱい思いをしたのは、決して
ローションを忘れたからだけではない。

朝九時には電話で叩き起こされ、珍しく朝から
「コンチネンタルブレックファースト」をいただく。
ベーコンを食べたのなんて五年ぶりくらいか。
しかし750THBで立派な朝食付きなんて安いなあ。
「連れ込み代」も取られないし。

Sちゃんがディスコでナンパした女子は、
「韓国カラオケ」で働いているらしい。

「ニッポン人より断然韓国人の方が多い」と言う彼女は、
昔一度韓国男子と結婚し7才の子供がいるが、
彼は息子を置いて国に帰ってしまったそうだ。

6000THB/月の部屋に独りで住み、
月に20000THBそこそこ稼ぐと言う。

そして、ディスコに来ている女子はほぼ100%プロで、
お金の為に毎日行くのだそうだ。

「学生とか(素人)はいないの」とオレが聞くと
「ここはパタヤなのよ」と鼻で笑われてしまった。

そりゃそうだよね。


そんな感じで、
「アッ」という間に終わったパタヤツアー。

今度はもう少し

ゆっくりしたいな。


*薄手のレインコートがやくに立つ。
ま、結局はビショビショになるのだが。
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2010年5月25日 (火)

クンラーカー

「ちぇっ。さっそく渋滞かよ」

そう嘆くオレの気持ちもわかって欲しい。

夕方の「ゴールデン渋滞タイム(PM5〜7:00)」を避けるため
わざわざ午後三時過ぎに家を出たというのにこの有様なのだ。

「争乱」の現場となっていた為もうずっと走っていなかった
クルングテープの中では一番好きな道
「タノンプララムシィー(211222211ラマ4世通り)」の
長い長〜い直線でも、アクセルを全開に吹かすことはできない。

真っ直ぐに2km続くそのストレートで、
スロットルを思い切り廻して走るのはなかなか気持ちが良い
(夜は特にね♪)。とは言ってもオレの愛車
ジアブちゃん(某「YAMAHA Fino」)では、
出てもせいぜい110km/hまでだが。


渋滞は好きぢゃない。

バイクだから、車と車の間をすり抜けて
「スイスイ」といけるのだが、ミラー同士が当たるのを
「ギリギリ」で避けながら運転するのは
けっこう神経を使うのである。

とにかく、久しぶりに大好きな
「水餃子」を食べるため、昼間の暑い中
外に出たというのに。

メニュウを開いて
「あれっ」と思う。
「小龍包」の値段の部分に紙が貼ってあり、
「80」という数字が書いてあるではないか。

「値上げしやがった」

一瞬そう思ったが、よく考えれば元々の
「70THB」が安過ぎたのでこれっぽっちも腹は立たない。
家庭料理風の素朴な味ではあるのだが、それがまたなんとも
「ウマい」のだし、皿に十個も乗っている小龍包が、たったの
210円から240円に値上がったところで文句を言う気など
1ナノもないわ。マジで。

仕方ない。仕方がないよ。
デモのせいでかなり長い間店を休んでいただろうから、
そういう手段に出るのは当然だし、
なんとか引き続き頑張って欲しいので、顧客として
協力できることはもちろんしよう。

看板メニュウの
「韮水餃子」は50THBのままでいいのかな?
まだまだ安過ぎるんぢゃないの??

お茶の10THBも入れていつも合計140THBでは
決して大した客ではないが(しかもおひとりさま)、
今後共どうぞよろしくお願いします。


さて、最近ちょっとハマっている赤ワインを購入するため、
餃子屋さん(*「日月楼餃子」というらしい)の近くにある、某
「カルフール ラマ4店」に寄る(ワインの種類と在庫が豊富なのだ)。

「パリッ」とした服屋さんでワゴンセールをやっており(20%OFF)、
無地のTシャツとポロシャツを衝動買い。

「GIORDANO(ジョルダーノ)」というブランドは
聞けば、会社は香港だという。

Tシャツは「made in Thailand」(250→200THB)
ポロシャツは「made in Malasia」(690→552THB)。
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蛙のロゴマークがあまり可愛くないのだが、
「XS」というサイズがオレにはちょうど良かった。
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で、二階に上がり早速ワイン売り場を物色していると
「あ、やりやがった」と、つい声が出てしまった。

「ペェーンクン、チャイマイカップ(値上げしたでしょ)!?」
「ニットゥノーイナカー(ちょっとだけです)」
「ジンロー(マジで〜)?」「ジンジンカー(ホントです)」

正式に値上げはタイ語で
「クンラーカー(322222)」らしいが一応通じた様子。
だってついこの間買ったワインが、
「350THB→500THB」になってるんだもの。
ちょっとヒドいんぢゃない。ていうか
大手資本のスーパーマーケットが値上げするなんて
「便乗」ちゃうの!?

しょーがないので、おねーさんの薦めるまま
ブルゴーニュの安いヤツを購入。
それでも379THBだから、普段の生活からすればまあ、
なかなかゼータクと言える。
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そーいえば今日気付いたのだが、先日の
「made in Thailand」のワインは、なんと
「マンゴスチン」ワインだった。
たしかに言われてみれば
ちょっと酸味が少なかった気がするし、そもそも
「タイでブドウなんて穫れるのか?」って話だ。
*他に「ブラックベリーのワイン」なんてのもあった。

しかし、いやらしいフルーツだなあマンゴスチンって。
タイ語では「マングクットゥ(222333)」。
口に出すのも恥ずかしい。

それにしても、
「ブドウとマンゴスチンの違い」がわからないなんて
オレの舌もいい加減なものだな、まったく。

ちなみに、最低条件はコルクだ。

「いかにも料理用」みたいな
「スクリューキャップ」のものでさえなければ、
ワインなんてどれだっていい。

でも、やっぱり仏産か伊産がいいな。
カリフォルニアは、なんかイヤ。

開けたら三日で空ける。

カマンベールチーズは四等分。

ワインとセットだと最後のひとつが余るが、
少しくらい日が経ったくらいの方が
「トロッ」としてウマいからだいじょーぶ。
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それを更に四等分して
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クラッカーに載せるのだ。
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そーいえば最近、お酒飲んでもあまり酔わなくなったな。
家で独りワイン飲んだってまったくダメだし、
ディスコでもウィスキイをかなりの量飲まないと、
「テンションがアガる」というところまではなかなかいかない。

だからこの頃では、冷凍庫に入れてあるフレーヴァーヴォッカを
「キューッ」と勢い付けに飲んでから夜遊びに出掛ける。

ニッポンにいる時よりも確実に酒量は増えた。
お酒なんて昔は「ヨワヨワ」だったのに、
だんだん慣れてきたというか例によって
「麻痺」してきた感じだ。

「麻痺」はよくないなあ。
よくないぞ。


少し考え方を変えて、あまり細かいことを考えず
「ケチケチ」せずにお金を使うことにした。
なくなったらなくなった時の話で、
また頑張って稼げばいいのだ。

とは言っても、所詮は気が小さいオレのことだから、
「パーッ」と派手に使うわけでもなく、前よりもちょっとだけ
「気持ちに余裕を持つ」という程度のことだが。

相変わらず毎日小遣い帳をキッチリ付けているし、今日だって
200THBのTシャツの色を選ぶのに20分、
379THBのワインを選ぶのに30分以上かかったくらい。

だからあまりヒドい便乗値上げは困るが、
外国から来てこうして住ませてもらっている以上、
タイのためにちゃんとお金を落とさないといけないし、
現状ではそれくらいしかできないからなあ。


今日で外出禁止はおしまい。

明日からはしっかり

外でお金を使ってこないとね。


*某カルフールの中の
「平場」のお店で買ったショートパンツ(290THB)。
家に帰ってさっそく履いてみて、あまりの
「似合わなさ加減」にビックリした。
ま、部屋着だから別によいのだけれど。
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2010年5月24日 (月)

カオヂャイピットゥ

「タッターリラリラッ♪」

珍しく朝っぱらからケータイが鳴ったので、誰かと思えば
「+」の表示、つまりニッポンからの国際電話ってことだ。

「ちょっとー。やめてくれる」

久しぶりに聞いたそのニッポン女子の声はご想像通り
Mリンのもので、ブログを読んだらしい彼女曰く、どうやらオレが
「勘違い(カオヂャイピットゥ322211)」していたようだ。

「すぐに訂正しろ」とおっしゃられるその内容とは、
「女のコのことを女子、男の子のことを男子」という表現は、今でも
世間一般でごく普通に通用しているのだそうで、
ツッコみたかったのはその部分ではなかったらしい。
プライドの高い彼女は自分が「変」に思われるのを忌み嫌うので、
オレのごく近い知り合いしか読んでいないとは言え、とにかく
気に喰わなかったのだろう。

というわけで、謹んで訂正しておく。

ちなみに、読者の中に彼女とオレの事情を知る共通の知人は
ほぼ皆無と思われるからさほど心配することもないのだが、
一時間ほど世間話をしいているといくつか問題発言もあり、
「またブログのネタにするぞ」と脅してはみたものの、さすがに
ここに書くのは内容的にちょっとマズいだろうなあ。

「バレたらマズい」話ほど面白いのだが。

「稲妻」は美しいが「人妻」はコワイ。
とだけ言っておこう。


さて、政府から出ている
「夜間外出禁止令」は再々度延長され、今日明日の二日間は
「午後十一時から朝四時まで」引き続き外に出ちゃダメらしい。
一応仕事に出掛けたが、結局午後十時には閉店し、
タクシーがなかなか拾えないため、雨の中バイクで
従業員をひとり送ってから家に戻った。

てことは明日もまだ遊びには行けないわけか。
さすがのオレもそろそろムズムズしてきたぞ。

デモ騒動が激しくなってからはずっと家にいたので、
ここ最近かなりたくさんの映画を観たなあ。
せっかくなのでタイトルだけでも紹介しよう。


「FIRE!(バーンチェイサー)'08独」<×>
「THE INFORMANT!(インフォーマント!)'09米」<○>
「INGLOURIOUS BASTERDS(イングロリアス・バスターズ)'09米」<☆>
「THE OXFORD MURDERS(オックスフォード連続殺人)'08英仏スペ」<○>
「MESRINE:L'INSTINCT MORT
(ジャックエスリーヌ パブリックエネミーNo.1 Part1,2)'08仏」
「THE WAVE(ウェイヴ)'08独」<○>
「JULIE & JULIA(ジュリー&ジュリア)'09米」<○>
「DRAG ME TO HELL(スペル)'09米」<◎>
「SMOKIN' ACES 2:ASSASINS' BALL(スモーキン・エース 2)'09米<×>
「REC● 2(レック 2)'09スペ」
「THE 4TH KIND(フォース・カインド)'09米」<○>
「AVATAR(アバター)'09米」<◎>
「プール('09日)」<×>「カイジ 人生逆転ゲーム('09日)」
「JIN ー仁ー 一巻〜六巻('09日)」
「KONYEC(人生に乾杯!)'07ハンガリ−」
「THE BAND'S VISIT(迷子の警察音楽隊)'07イスラエル」
「THE BOAT THAT ROCKED(パイレーツ・ロック)'09英」
「ASTRO BOY(ATOM)'09米香」
「12 ROUND(12ラウンド)'08米」
「クヒオ大佐('09日)」
「SAW Ⅵ(ソウ 6)'09米」<○>

こんなところか。

毎週十二本程度新しい作品が更新される中からだいたい
三〜四本選んで観る感じかな。

一応オススメを書いておいたが、何と言ってもイチ押しは例の
「ナチ」の映画だ。
「タランティーノ天晴れ♪」である。

好きだった映画
「スモーキングエース」と
「REC●」がそれぞれ続編を出したが、残念ながら
両作品ともまったくダメだったな。
ま、だいたいにおいてそういうものだが、そう考えると
「SAWシリーズ」はスゴイと思う。

オレが映画に求めるのは
「リアリティー」「カメラワーク(の良さ)」「音楽」
「ヒロインの容姿」「意外性(どんでん返し)」などだが、特に
「リアリティー」に欠けると
「んなわけないや〜ん」と、一気に冷める。

ニッポンの映画に多いね。

ちょっと趣味が偏ってる気もするが、
まあ参考までに。


ついでに読んだ本も紹介しておくか。

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タイにある古本屋さんで目についたものを
「サクッ」と選んだだけのことなので、
深い意味はまったくない。

筒井康隆大先生についてはすでに何度も読んだものばかりだが、
やはり群を抜いて面白いし、本を読みながら
「腹を抱えて笑える」なんて大先生の作品くらいである。

あと、母親が送ってくれた「ハードカヴァー」は
邪魔なので多少お金になるので全て売却済み(読んでからね)。


というわけで、これらを踏まえた上で
「映画のDVD」「文庫本」等の差し入れ、

いつでもお待ちしております。

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2010年5月23日 (日)

ファイダップ

「夏の稲妻か」


独りで言って独りで
「ふん」と笑う。

洒落でもなんでもない。
「常夏の国」タイだが、ちゃんと季節はあり今はまさに
「真夏」なのだから。

ただ、その昔流行ったフォークソングのタイトルと
歌そのものを思い浮かべて
「オレも年を取ったものだな」と、つい
変な笑いが込み上げてきただけ。

稲妻は美しい。

雲が覆った空全体が真っ白に一瞬で二度
「ピカピカッ」と光ったかと思うと、遥か彼方で
「ギザギザ」に鋭く輝く光が地上に線を引く。

「いったいあそこに何万ボルトの電気が流れているのだろう」

そう考えただけでワクワクするではないか。

「ザーッ」と窓の外で雨の音がしたので、
テラスに出てみると遠くの空が光っていた。
エアコンの室外機の熱気で空気が
「モワッ」としたが、我慢してイスに座り
「ジーッ」と空を眺める。

最初は遠かったがだんだん近づいて来て
雨が激しくなると稲妻は長く
「光」と「音」との間隔は短くなる。

そうなるとこれはもう
「ショー」だ。
美しい自然の
「ショータイム」である。

それにしても、
「ちじょう」の一発目の変換が
「痴情」とはいったいどういうことか。

まあよい。

とにかく、
ブログのタイトルにしようと早速辞書を引くが、
「雷」も「稲妻」もないではないか。
たった四千語余りの安物ではダメなのか。
「カミソリ」はあるのに。

もっと高度な辞書を手に入れねば。

そう思った次の瞬間部屋が暗くなり、
すぐに明かりは戻るが、デジタルクロックの数字は
「0:00」で点滅している。

そう。
クルングテープ名物
「停電(ファイダップ22111)」だ。

しょっちゅうのことなので、もう
「慣れっコ」なのだが。

仕方ないのでタイトルはこっちにしよう。


さて、どうやら争乱も去り、
街に平和が戻りかけているようだ。
ニュースによれば明日からは「B.T.S」も運転を再開し、
「日曜からお店も通常営業です」という内容のメールが、
今日の午後マスターのJ氏から届いた。

その前は二十日、つまり一昨日(木曜)のお昼に同じく
マスターから電話があり、前日に
「夜間外出禁止令」が出てから深夜家に戻る途中の
「ひとっこひとりいない」状況の解説と、
「昼間の街の様子」のリポートを伝えてくれた。

「タクシーすら拾えなくて(空車が通らない)、
エカマイまで歩いてやっと捕まえた」ということは、少なくとも
数十分はとぼとぼと歩いたわけで、その間きっと
心もとなかったことだろう。

もう一本は翌二十一日(金曜)の昼。

けっこう意外な人物からあった以外、電話もメールも
ケータイの着信は一切なし。

そういう状況にしているのは自分自身なので、特に
「寂しい」わけではもちろんないが、相変わらずの
「友達の少なさ」には我ながら恐れ入る。

タイだけぢゃなくニッポンでもそう。

現地でどういう報道かは定かでないし、
ブログを読めば状況はわかる、とは言え
母国から連絡してくる気配すらなかった。
メールのやり取りをしたのは数週間前、
仕事関連のごく事務的内容のみ。

そんなことはわかっていたし、今更
「心配してくれよ」などとは1ナノも思わぬけれど、
珍しく連絡があったりすると、なんだかちょっと
「ホッ」としたりもするのだ。

「なんだ。まったく切れているわけぢゃないんだ」

そのメールアドレスの文字の羅列を見て、一瞬
「はて?」となったが、すぐに誰からだかわかった。

Mリンのケータイだ。

これまた意外な人物だったが、
後からその謎は解ける。

「いきてる?」

この上なくタイムリイな挨拶。

「生存の確認」をされて嬉しいなんて、なかなか
「異色な状況」だけど、気が緩んだためかついつい
「小さな過ち」を犯してしまった。
すなわち、このブログの存在を
彼女に教えたのだ。

「(もしも)オレのことが気になるなら」と、
ごく軽い気持ちで。

「しまった」と思った時にはもう遅く、案の定
彼女の反応は芳しくない。
元々文章を読むのがあまり好きではない(と思う)彼女にとって、
このブログなんてまるで拷問に違いない。

別に読まれてマズいことはないよな。いや待てよ、
ずいぶん前にMリンの話は少しだけ書いたけど、特に
問題はないはず。しかし記憶が定かではない。

たしか虫歯の話だ。

とにかく、彼女曰く
「よくもあんな(意味のない)長い文章が書けるものだ」と、
相変わらずの辛口批評であるが、まったく
「おっしゃる通り」と素直に認め、あれは
「自我崩壊を避けるための心のオナニーのようなもの」という、
わかったようなわからないような説明でお茶を濁しておいた。

「昔は<君>って呼んでいたのに<お前>だなんて」と、自らの
「S」の部分を導き出そうとしているオレの微妙な変化と共に、
彼女はもう一点とてもいい所にツッコんでくれた。
十七年前(仲良くしていた当時)から使っていた
「女子」なんていう表現を未だに当たり前のようにしているのが
「どうにも気色悪い」様子である。

「そうか。女子なんて言い回しはもう古いんだ」

ちっとも気付かなかった。
どうやら時代が止まってしまっていて、
オレの感覚はすっかり
「麻痺」しているのだ。

「慣れ」もコワイが
「麻痺」はもっとコワイ。という話を
つい先日も書いたばかり。
ていうか
「しびれる」「しびれる」なんて
「字づら」がすでにコワイ。
*「麻婆豆腐」の「麻」はたしか
「しびれる」の意だったはず。

では、今は何と言うのだ。女性のことを。

たまたまさっきまで観ていた
「INGLOURIOUS BASTERDS('09米)」という、
クエンティンタランティーノ監督、ブラッドピット主演の
ナチスに関する映画の舞台はフランスで、女性に対しては皆
「マドモアゼル」と敬意を表して呼んでいた。

ニッポン語でなら
「お嬢さん」だろうか。

よしわかった。ぢゃあオレもこれから
「女子(じょし)」なんて古い表現(?)はやめて、
女性のことを書く時は
「お嬢様方(じょーさまがた)」にしよう。

そーだそーだ。そーに決まった。

ちなみにタイ語で「女性」は
「プゥーイン(2212)」であり皆普通にそう呼ぶが、何故か
ラオでは「オンナのコ」のことを
「サオ(12*娘)」と呼んでいたな。

「女」なのに「竿」って。
いや、実際に
「竿付き」の女のコ(?)もいるのだから
別にいいのか。

あかん。
これってオヤジギャグだよね、完全に。
無視無視。スルーして。

それにしても、自分が
「世間から取り残されている」ような感覚を味わうと、心から
「ゾッ」とするものだね。
今みたいな「サム」〜い「オヤジギャグ(駄洒落等)」を言って、
部下達から軽蔑される部長になった気がする。

違う違う。
「夏の稲妻」はそーいう意味ぢゃないよ。マジで。

いや、若い衆にそう思われても不思議はなかろう。
某「アリス」のことを知らない世代にはね。
オレもすっかり焼きが回ったってことか。
はあ。


ところで、映画の件。

これは相当面白いよ。ホント。
タランティーノ監督の作品なんて久しぶりだが、
「傑作」と言ってもよいのでは。

長くなるから詳しくは書かないが、最近特に
「ドイツ」とか「独裁」とかに興味があるオレにとってはまさに
「ドンピシャ」のタイミングでピタリとハマった。

ていうか、いつの時代も
「大佐」はなんだか怪しいよね。
その役職名を聞いただけで
「ふふ〜ん」ってなる。

主役の「ブラ(ッド)ピ(ット)」がまたいい。

彼はヒジョーに素晴らしい役者だ。
どんな役をやっても
「カッコいい」し「サマ」になる。
「声が渋〜」くていい味を出しているしね。

そしてヒロインの「MELANIE LAURENT(メラニー・ロラン)」。
フランスの女優だと思うが、彼女がまたなんとも素敵♪

あとは音楽。
オープニングの切ない感じから、要所要所に
「いかにも」な感じの効果的B.G.Mが流れる。
「西部劇っぽい(?)」というかなんというか。

話の内容は伏せるが、この映画で重要なのが
「あだ名」だ。

「ヂュー(ユダヤ)・ハンター」「死刑執行人」
「アルド・アパッチ」「ベア・ヂュー(ユダヤの熊)」など、
いずれも敵側がそう呼ぶのだが、いかにも恐ろしい呼び名を
「業績の結果だからキライではない」と、
「SS(何の略?)」の「ハンス・ランダ大佐」は語る。

彼の任務は、ヒトラー総統の特命でフランスに隠れている
「ユダヤ人」を捕らえること。

そーいえば、かの「赤い彗星」
シャー・アズナブルも「大佐」だったな。
「危うい感じ」がなんとも魅力的な人物。

勲章がたくさんついたり、
「ビシッ」とした「軍服」をカッコいいと思うのは
オレだけではあるまい。
なんだか最近ちょっと嗜好が「アブナイ」な。

でも、もしオレが
「ニュータイプ」で「フォース」を持っていたのなら、
「ガンダム」に乗ってもいいぞ。
「ザク」や「ドム」はいやだけど。

話を無理矢理タイと繋げるならば、この国では皆
「あだ名」というか「ニックネーム」を持っていて、
通常そっちで呼ばれる。
基本的に本名は長く発音しにくいからだと聞くが、
なかなか面白いシステムだと思う。

普通は親が決めるのだろうが、それが気に入らないのか中には
自分で決めた二番目のあだ名を持つお嬢さんもいる。

昨日電話があったタイガールも実はそうで、ニックネームは
「フォン(12)」と「モナ(22)」の二種類だ。

「雨」という意味の「フォン」はとても多いので、
「他人とカブる」のがイヤなのだろうか。
とにかく彼女はおそらく自分で決めたであろう
「モナ」と呼ばれたいようだ。

しばらく連絡がなかった彼女から突然
電話があった理由は定かではないが、
色白でなかなかの美人である二十二才のお嬢さんだから
もちろん相手にとって不足はない。

ところが不思議なことに、嬉しかったのはむしろ
四十才(?)のMリンからのメールの方だった。

「口の中をすべて見られた」間柄だからか、もしくは
「センチメンタルな気分」だったからなのか。
よくわからないが、前回ニッポンに一時帰国した時、
「ちょっとしたすれ違い」のため二人きりになれなかったことも
関係しているかもしれない。

オレがまだ若かりし頃を一緒に過ごした彼女のことは、まるで
「同士」のように思える。
バブル時代にお互い
「馬鹿(なこと)」をやっていたものだ。

あの頃は今と全く違う生活だったが、
あれはあれでずいぶん楽しかったなあ。
それこそ「お姫様扱い」だったし、
「M心」も刺激された。

出逢いは某美容室で、
隣の席に座ったのがきっかけだっけ。

懐かしいなあ。

「○○リン」って呼ぶこと自体時代を感じるが、
当時はそんな感じがごく普通だったのだ。
今これを読んでいる若い衆はひょっとしたら
「キモ〜イ」と感じるのかもしれないが、本当に
そういう時代だったのだから仕方がない。

そして女のコのことを
「女子」、男の子は
「男子」と呼んでいた。

「若い衆」という言葉だって、もうかなり古い言い回しだ。
当時廻りにたくさん居た不動産業界のおっさん、いや
おじーさん達が使う古くさ〜い
「昔の言葉(表現)」を、わざと使って楽しんでいた。

「拠ん所ない事情でお先にご無礼します」とかね。

あー懐かしい。

しかし、Mリンはこれを読んでおそらくまた
「あ〜あ。なんて長い意味のよく分からない文章なのよ、まったく」
てな感じで「プリプリ」とご立腹のことだろう。

ふふふ。

今回彼女と何度かメールをやり取りして、
ニッポンに居た頃はよく、お嬢さんたちとの
「言葉のキャッチボール」を楽しんでいたことを思い出した。
タイではメールがまだニッポンほど浸透していなくて、もちろん
「絵文字(あんなのニッポンだけらしい)」なんてないし、
タイのお嬢様方とは、文章の表現で
「気の利いた会話」などできないからね。

そんなことがちょっとだけ悔しい。

イニシャルでなくニックネームを晒してしまったが、まだ何もない
モナ嬢とはおそらくこの先も何も起こらないだろう。

彼女達ともいつかは、タイ文字のメールで
「言葉のキャッチボール」や
「気の利いた会話」ができるのだろうか。

タイ語のボキャブラリイの少なさを考えると不安だな。

やっぱりニッポン語ってスゴいわ。
海外に住んであらためて感じる。

だから忘れないように、自分の考えや
思ったことをひとつひとつ確かめるように、こうして
長い長〜い文章を書くんだよ。

わかってくれたかな。


そうそう。
すっかり忘れていたが、後から解けた
「謎」とは、彼女が来月家族で
「タイ旅行」を計画していたという件。

今回の騒動で行く先を別の
「南の島」に変更せざるを得なくなったらしいが、きっと
そのことでオレの存在を思い出したのだろう。

タイで彼女と会えないのは残念だが、仕方がない。
美しいお嬢さん(娘)にも是非会いたかったのに。

またいつか来られると

いいんだけどね。


*いよいよライチのシーズンがやってきた。
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ここまで剥けばもう「つるん」といける。
瑞々しくてとてもウマいのだ(そして安い)。
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タイ産のワインを発見したぞ(248THB)。
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裏にタイの地図があってわりと真ん中辺りに印が。
こんなところにワイナリーがあったなんて。
味は「まろやか」って感じ。ちなみに
この表現を使うことってあまりないな。
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最近お気に入りの酒のつまみ。
シンプルなクリイムチーズとかピーナッツとかが
結局一番イイのだ。
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2010年5月22日 (土)

タクシン

「夜間外出禁止」は今日まで。

ずっと家に居てヒマだったので、
ネットでいろいろな記事などを読んでいたら、
今回のデモの黒幕であるタイの元首相某
タクシン氏についての話題で盛り上がっていて、
なかなか興味深かった。

先日の日記で誤解されないように付け加えておくが、
タクシン氏は決して独裁者ではない。
オレが言いたかったのは、特殊な状況の中で
人間の精神状態がおかしくなってしまうことも
場合によってはあるのではないか、ということ。

ケータイ電話の会社などの成功と富をバックボーンに
十数年前から政界に進出し、首相になってからは
タイの経済発展に大きく貢献したと言われる同氏だが、
地位を利用し私利私欲に走ったことで有罪判決を受け、
現在は海外逃亡中。

良い面と悪い面が混在するためか賛否両論が多く、
タクシン氏に対しての評価はオレ自身
今ひとつよく分からなかったが、今回の件で
なかなか分かりやすい記事があったので、
ここに転載しておく。


タイ動乱「陰の主役」の真実

ニューズウィーク日本版5月19日(水) 21時18分配信 / 海外 - 海外総合

タクシン元首相は民主主義を実現したが国は分裂させた、というのは正しくない。分裂させたからこそ民主主義的だったのだ──

ジョエル・シェクトマン(ジャーナリスト)

 今月13日に始まったタイ治安部隊とタクシン・シナワット元首相派勢力との衝突は、40人近い死者を出す事態に発展している。

 いわゆる「赤シャツ隊」のタクシン派は、06年の軍事クーデターでタクシンが失脚・亡命してから、タクシン派政治家の公民権が停止されていることについて、首都バンコクの市街地を占拠して抗議を続けている。

 バンコクからのニュース映像は、戦闘地帯の急拡大を伝えている。居並ぶ治安部隊が群集に向けて発砲し、非武装の市民の死体が道に転がり、車は炎上し、バリケードが築かれている。

 抗議活動の中止を条件に政府側は話し合いに応じるとしていたが、治安部隊は19日にバンコク中心部でデモ隊のバリケードを突破。ロイター通信によれば、タクシンは治安部隊による強制排除が国中でゲリラ戦を引き起こす可能性がある、と述べた。

 泥沼化にもかかわらず、タクシンを追放したエリート層が後悔している様子はない。彼らにとって、そしてタイ国外の人々にとって、タクシンはポピュリストのデマゴーグ(大衆迎合主義の扇動政治家)だった。タクシンは無教養な農村貧困層の大衆を操って権力を握った。第2のウゴ・チャベスになっていたかもしれない、というのが彼らの見解だ。

 だがタクシンは、砕け散ったタイ民主主義が最も素晴らしかったころを象徴する人物だ。確かに不手際は数え切れないほどあった。彼は素直な政治家などでなく、汚職に手を染めたこともほぼ間違いないが、タクシンのタイ愛国党は01年に下院で初めて500議席の過半数に迫る248議席数を獲得した政党だ。タクシンは農村部の政治に疎い大衆を動員することで、70%という記録的な投票率も実現した。

 元警察官で実業家のタクシンは政界に進出するにあたり、バンコクの富裕層から国民の80%を占める農村貧困層へ権力の中心を移す、と約束した。そしてタクシンはその通り約束を実行した。

■利益誘導と民主主義は矛盾しない

 過去30年間、タイは軍事政権と独裁者の統治との間で揺れ動いて来た。97年のアジア通貨危機によってチュアン・リークパイ元首相が権力を握り政治改革を推し進めたが、彼の金融引き締め策は景気後退に苦しむ農村貧困層を無視するものだった。

 彼らの要求に耳を傾けることを約束して、01年に登場したのがタクシンだった。タクシンは農村部の開発に数十億ドルをつぎ込んだ。小口融資や起業支援、あるいは農作物の生産拡大資金として、タイの約8万の村にそれぞれ2万5000ドルを支給した総額23億ドルの農村ファンドもその一環だ。

 警察官時代にアメリカ留学の経験もあるタクシンは、農村部の小規模ビジネスの起業を支援するという自由主義的な手法と、農家への債務支払い猶予や補助金支給といったポピュリスト的政策をない交ぜにして実行した。こうした政策によって、国民1人当たりGDP(国内総生産)は01年から06年の間に70%も増えた。農村部の住民収入の伸びはそれ以上だった。

 01年にタクシンは貧困層が75セントで医療を受けられる医療保険制度をつくった。野党はタクシンが票をカネで買っていると非難した。だが貧困ライン(生活に必要な最低限の物を購入することができる最低限の収入水準)以下で暮らす国民は、00年に1270万人いたが、4年後には710万人まで減少した。

 タクシンの大義はほかの政治家と同様だ。すなわち権力を握り、権力を維持すること。それでも彼は得票操作ではなく、正当な選挙と政策によってそれを成し遂げた。利益と統治をうまく結びつけることで、指導者は権力の座にとどまる──機能する民主主義とはそういうものだ。

 タイ民主主義においてタクシンが重要なのは、貧困層に奉仕したことばかりが理由ではない。彼には政治家としての能力があった。76年に軍政が終了してから、4年の任期を最後まで務め上げた首相はタクシンが初めてだった。それ以外はみな、クーデターで転覆されるか辞任させられるか、連立を組むパートナーに見捨てられるかして新たに選挙を迫られた。

 王室の陰謀と軍隊の派閥が政治に影響力を持つタイにおいて、エリート層はタクシンのビジネスライクな手法を好まなかった。彼は中央政府のチェックなしに地方の決定権を握ることができる「CEO知事」を新設したが、形を変えた縁故主義にすぎないとレッテルを張られた。

■バラマキでつくり出したチェック機能

 それでも数値目標を設定し、地方当局者に決定権を与えることで、タクシンはタイを経済危機から救うことに成功した。IMF(国際通貨基金)からの融資も予定より2年前倒しで返済した。

 もちろんタクシンは聖人ではない。反タクシン派が主張する彼の姿の大半は真実だろう。03年にタクシンが行った麻薬撲滅作戦(3カ月以内に麻薬取引を根こそぎにすると約束した)は、数千人の死者を出した。軍事攻撃によって南部のイスラム教徒の暴力は激化した。

 農村融資は単なる票集めの手段に過ぎなかったと批判派は口をそろえる。タクシン自身も融資が返済されることはないと分かっていたはずだと(実際、多くの国々で農業助成は行われているのだが)。

 だがタクシンにどんな欠陥があろうと、01年から06年にかけて彼が大衆の政治参加を実現し、タイ民主主義の最も輝ける瞬間を実現したのは間違いない。タクシンがエリート層を疎外しようと、一般大衆は彼が自分たちの味方だと考えていた。

 どんな国にも利害の対立する階級や派閥は存在する。明らかに現在の衝突は行き過ぎだ。だが農村の有権者を政治に参加させることで、タクシンは都市のエリート層の権力に対するチェック機能をつくり出した。

 タクシン政権は民主主義を実現したが国は分裂させた、というのは正しくない。分裂させたからこそ、民主主義的だったのだ。


なるほど。
まあこれは米国人ジャーナリストの視点であり、これに対する
在タイ(歴の長いであろう)ニッポン人の意見も
載せておいた方がよかろう。

以下は抜粋である。


<公正な報道 日時 : 2010/05/21 7:48:03 PM >

その1.
以前より問題になっているのは、タイ国民大多数の世論を無視し、赤服テロ軍団の非人道的暴挙の数々及び膨大な被害をこうむった市民の声を積極的に取り上げない、特に海外のメディアである。
賢いタクシンの完璧な報道規制の負の遺産であろう。やっとタイのメディアの約半分が中立になりつつあるが。

その2.
赤服を非武装の貧困者層の市民と表現している。地方における権力構造というものを全く理解していない。
赤服のほとんどが、裏稼業を、票集め屋、利権屋等としている地方マフィアである。その部下が、免職を食らった元悪徳警察官等で、赤服の戦闘隊である。さらに、中央で悪事を働き左遷された警察官の多い、表・裏のある地方警察とともに、農民・市民を食ってきた輩である。
従って、赤服というのは、地方の支配者層なのです。地方における選挙は、このマフィアに対する金次第なのです。

その3.
Give & Takeをモットーとするタクシンが、この権力構造を利用したわけです。
さらには、タクシンの麻薬撲滅で数千人が殺害され、競争相手がいなくなり現在のマフィアが勢力を伸ばせたのでは?本件に関し、タクシンに支配されているタイの人権擁護委員会は、全く調査してません。いろんな記録のある麻薬制圧局に火がつけられたのは偶然でしょうか?

その4.
少なくともバン銀、セントラルへの放火はタクシンの報復でしょう。
また2年前発覚した、タクシンの弁護団による裁判所の買収からわかるように、司法をも支配下にしていたわけです。タクシンは民主主義を実現したのではなく、独裁制を完成しつつあったのです。
そもそも、なかなか本音を言わないタイ人より、外国のメディアが真実を見極めるというのは難しいでしょうね。

<通りすがり 日時 : 2010/05/22 10:22:30 AM >

公正な報道さんに伺いますが公正な選挙無しに成立した現政府に正当性はありますか。どの国の政治にも影の部分は存在します。地方マフィアの話が出ましたがこれまで地方の民意が取りざたされた事がありましたでしょうか。総ての国民が政治に参加する事が民主主義の基本ではありませんか。混乱の中から生まれてこそ真の民主主義なのではありませんか。タクシン以前のタイがどんな国だったかご存知でしょうか。
麻薬とゴミの匂いに溢れたあの頃がよかったのでしょうか。


などなど。

もちろん他にもたくさんの意見があり、
かなり盛り上がっていて面白い。

今回の件で、裁判所からタクシン氏に
国際テロ犯として逮捕状が出たものの、
「もっと詳しく調べねばならぬ」という理由で
一旦却下されたことについて侃々諤々の論議であった。

オレの個人的意見としては、確かに
タイの発展のためにタクシン氏のような人物は必要であっただろうが、
ある意味国民を裏切った後もずっと陰で権力を持ち続けることは
どうも理不尽な気がする。

かといって、今回のようなデモによって
「タクシン派を転覆させて」生まれた
現在の政権を支持するわけでもないし、噂されるような
「富裕層」と「軍」の癒着関係などが事実ならば尚更だ。

となると、ズルい表現だが現時点では
「中立」としか言いようがない。

いずれにしても
「真の民主化」までの道のりは
まだまだ長いように思われる。


とまあ、最近はなんだかおカタい話が多いが、
時期が時期だけにお許しいただきたい。

ちなみに、
「タイ旅行」を検討している人がもしいるとすれば
「今だけはやめた方がいい」と、

言っておこう。

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2010年5月20日 (木)

アンタラーイ

「イズミサーン。ソトアブナイヨヒトシンダダヨ。デルダメダヨ!」


昨日の夕方、トゥルルと鳴ったアパートの内線電話に出ると
Aちゃんがそう教えてくれた。

後からわかったのだが、夜間のみではあるもののついに
「外出禁止令」が出たのである。
(難しいタイ語を使う)ニュースの内容がよく分からないだろうと、
親切に気を利かせてくれたわけだ。

「そこまで厳しい指令は出せないだろう」と、今までは
なかなか出なかったのだが、とうとう発令されたか。

案の定オレはそのことを知らず、いよいよ
「食べる物がなくなってきたのでそろそろ買いに行かねば」
と、思っていた矢先のことだったので助かった。
実際、昨晩はどこの店も閉まっていたと言うし、
タクシーも捕まらないほど街は静まり返っていたそうだ。

そして一部地域では、デモ隊の残党や暴徒による
「放火」や「強奪」「略奪」が行われたのである。


昨日の午後、某「UDD」首脳部が警察に出頭し、
「デモ終結宣言」をしたことにより、デモ隊の多くは
政府の出したバスで続々と田舎へと帰っていったのだが、
「終結」を不服とする一部の過激派連中は宣言を無視し、
ゲリラ的に活動を続けているようなのだ。

けっこうな人数と見られる彼らが散り散りになって、
反政府活動を続ければそれはまさしくテロであり、街中、いや
国中にテロリストが潜伏することとなってしまうわけで、
これはかなり危険(アンタラーイ22222)な状況である。

「UDD」には銃や爆破物などかなりの量の武器が
軍から横流しされたと言われ、実際それらを一度手にした人間が
異常な状況の中である種の狂気に至ったとしてもおかしくはない。

長期間座り込みを続けていたおばちゃん達にしても、
近くでドンパチやっているにもかかわらず
「何があろうとあたしゃここを一歩も動かないよ!」などと
インタヴュウに応えていたし、デモ終了で基地が撤収され
歩いてバスに向かう道中も皆わんわん泣いていたりと、
精神状態が普通であるとはとても思えなかった。

「これぞまさに<WAVE>の世界だな」

昨日観たばかりの映画のシーンに近いことが
現実に目の前で起きているのを、オレは
複雑な心境で見守るしかないのだった。


「THE WAVE('08独)」というその映画は、
1967年にアメリカで実際に起きた事件を元に
舞台を現代のドイツに置き換えて、若い監督が
自ら脚本も書いて撮ったものであり、なかなかに興味深く
とてもよくできた作品である。

「興味深く」とは個人的な意見で、それは
「ファシズム」についてのことなのだが、オレは以前から
このテーマには少し興味があったのだ。

内容は、ドイツのごく普通の高校の教師が
「独裁(制)」についての特別授業を受け持つことになり、
それを専攻したクラスの学生達に
「全体主義」を体験させる、という授業を進めるうち
徐々にエスカレートしていき、生徒達も、その
「指導者」である教師自らも常軌を逸し、
最後には悲劇が起こってしまう、というもの。

「(集団の)名前」「ロゴマーク」「制服」「敬礼」などを決め、
「助け合う」「行動力」ということを学ぶうち、それがどんどん
楽しくなりのめり込んでいく若者らは、やがて
自分達以外を排除し始める。

実際に起こったのはアメリカでのことだが、舞台が
ドイツだからこそリアリティーがさらに増して面白い。
そして、この
「ファシズム」こそニッポン人にピッタリというか、
国民の性質的には受け入れやすいのではないか、と、
オレは昔から思っていた。

とは言っても、もちろん
オレ自身が集団を煽動して何かを起こすつもりもないし、
とんでもないカリスマ独裁者が登場して、ニッポンが
「スゴイことになる」などとはまったく考ていないが、今のような
「超ユルユル指導者(未だに首相は鳩が付く人なのですか?)」が
アホなことばかり言っているニッポン国の姿を見ていると、
心の底でちょっとだけそういうことにも期待してしまうのを
抑えられないといったところだろうか。

とにかくだ。

今回の事件を見ている限り、
「赤服軍団」のメンバーがタクシン氏という指導者の元
「制服」を着て「目標」を掲げ
「一致団結」で「集団行動」といった姿が、
どうしても前出のそれに
「カブッ」ってしまう。

最初のうちは「お金」や「ごはん」が目的だったのに、
「タクシン!タクシン!」とシュプレヒコールをあげているうち
だんだんとマジになっていったり、
武器を持たされて役割を命じられてその気になったり。

その感覚がわからなくはない。

単純なオレなんて特に
「そうなりがちなタイプ」だと自覚もしているし。

とにかく、このタイミングでそんな映画を観たことが、どうにも
「偶然」とは思えないのである。

だからといってどうというわけでもないのだが。


「一度狂信的になってしまったらもう止まらないのでは」

そう考えると、今もそこらをウロウロしているであろう
「ゲリラ集団」は恐ろしくて仕方がない。

ビルに火を放ったり、消火活動を
銃で制止したりしている輩が、もし仮に
「これがお国のためなのだ」と思っているとしたら、
もうすでに頭がおかしくなっているのだ。

便乗して暴動に参加するような輩も含め、しばらくの間
タイの治安が不安定になることは間違いない。

昨日はなんと数十箇所で放火があったらしく、映像で見たが某
「セントラルワールド(伊勢丹含む百貨店街)」などは
火事でボロボロになってしまっていたし、街の中心である
「B.T.S」のサイアム駅も真っ黒焦げだった。

街の所々で黒煙がもうもうと上がっていたり、
装甲車が一般道をウロウロしていたり、TVのニュースで
そんなシーンだけ見ていると、まるで
「内戦」でも起こったかのようなイメージである。

街の復興にはかなりの時間と費用が掛かることだろう。
そしてもちろん、観光地としての信頼を取り戻すのにも。

国というものは、こういう経験を経て
成長していかねばならぬのであろうことはなんとなくわかるのだが、
数年前のクーデターといい、何度も起こるデモといい、
いつまた何が起こってもおかしくない状況は続く。

真の民主化への道はまだ遠いということなのか。

そんな中でオレはいったいどうすればいい。
オレの役割はなんなのだろう。

さっぱりわからない。


とりあえず昼間の明るいうちに
スーパーマーケットで食料を買い出しして来たが、
レジには恐ろしいほどの行列ができていて、皆
山のように食料品をカートに積み上げていた。

政府の発表した
「夜間(21:00〜05:00)外出禁止令」は
二十二日まで延長されたからね。

元々ヲタクで
「引き蘢りがち」なオレにとってはまったく問題ないが、
仕事を持っている一般の人達は大変だろうな。

ま、いろいろ考えさせられたが、今のところ狂信する
「カリスマ」もいないし、街で起こっている
「テロ」に加担する気もないので、どうか

御心配なく。

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2010年5月19日 (水)

ペンフワング

「ついに装甲車まで出てきたか」


二ヶ月以上にわたって行われてきた
「赤服軍団」による抗議デモ活動も、どうやらいよいよ
終焉に向かっているようだ。

十日ほど前、アピシット首相がデモ隊に対して
「現政府の解散時期を早める」提案をした時には、
その条件をのんでデモを終結するような動きもあったのだが、
「強硬派」が許さなかったのか結局終わることはなかった。

元々、某「UDD」は
「穏健派」と「強硬派」の間で意見が分かれがちであり、
ことあるごとに揉めている印象だったが、
強硬派の筆頭とされる人物がなんと現役陸軍の某小将らしく、
タクシン派の彼がデモ隊に武器を横流ししたりしていたという。

そのK氏がタイ国軍のスナイパーに暗殺されてから、
事態が大きく動いたのではないかと考えられる。
すなわち、政府としては交渉を半ば諦めて
「強制排除」を本格的に開始したというわけだ。

ラオにヴィザを取りに行ったついでに
コーンケーンで数日滞在していたオレは、土曜の朝
帰りのバスの中で、一緒にいたSちゃんが友達から聞いた
「B.T.SとM.R.Tが完全に止まっている」という情報と共にその
「暗殺事件」を知り、暗〜い気持ちになっていた。

デモの早期解決を望んではいたが、できれば穏便に
なるべく犠牲者を出さないように、と願っていたのに、
どうやらそれは叶わぬことだと知ったからである。

そして翌日の日曜には政府から
「月火曜の二日間を公休日とする」と発表があり、つまりは
「いよいよ危険だから外に出るな」ということであり、
TVのニュースでは、街の所々で上がる黒煙や、
病院に運ばれるケガ人などの映像が頻繁に流れる。

長い正月休みを終え今週から始まるはずの学校も
しばらくは休校となり、
「学生達はどうせヒマだから遊びに来ているよ」と、
元気な友達からディスコに誘われたが、さすがのオレも
そんな気にはならなかった。

結局公休日は三日間延長され、政府としては
今週一杯を目処にデモ隊の完全撤退を目指す模様。
今朝からは装甲車も登場し、バリケードの撤去など
最終的な行動に出ているようであり、計画は
着々と進行しているかに見える。

抵抗を続けているデモ隊の一部過激派にしても、
標的になりやすいから赤い服はもう着ていないし、
やることと言えば古タイヤを大量に燃やして黒煙を巻き上げたり、
ビルに火をつけようとするくらいのことであり、それ以外の人々は
政府が出している「撤収用のバス」に
次々と乗り込むのではないだろうか。

これらはいずれもTVやネットのニュースからの情報であり、
現場からはかなり遠いオレのアパートの付近では
危険を感じることはまったくないし、あまり
近づかないようにしていたので雰囲気はよくわからないが、
ニッポンから友達が来ていた時、一度だけ
「チラッ」と覗いてみたところ、古タイヤと木の棒で作られた
「バリケード」などは一種異様な雰囲気だったし、
軍隊の若い兵士達が銃を構えて交通整理をしている姿は、やはり
見ていて気持ちのいいものでは決してない。

現場近くに住んでいた人達はきっと大変だったろう。
コンビニに買い物に行くことすらためらわれたのでは。
いずれにせよ、間もなく終わるだろう。
一刻も早く街に平和が訪れることを願いたいものだ。


それにしても、今回の騒ぎにはさすがに参った。

一昨年の某
「P.A.D」による空港占拠の時も相当驚いたが、とにかく
「この国に骨を埋めよう」と思ってやって来たオレにとって、
かなり不安になる事件であったことは間違いない。

本来ならばこういう時、厳かにひと言
「国のためにならないことはやめなさい」と、
貴重なお言葉を下さるはずのプミポン国王が
今ひとつお元気でない様子も気になる。

「不敬罪」が厳しいので詳しくは書けぬが、
王室の将来のことも含めて、この先
「タイという国がどうなっていくのか」について、正直
不安で仕方がない。

ニッポンから東南アジアの国にやって来て、
経済などの発展に期待する一方で、こういったことも
ある程度覚悟せねばならぬのは当然だが、それにしても
「国のしくみ」自体に大きな疑問を感じるのは事実。

こうしている間も、ニュースでは現場の音声が流れ
人々の叫び声が聞こえたりしてくるのである。

今、代表者の一人(おそらく最重要人物)が
軍に連行されるシーンが映し出された。
これで事態は一気に収束に近づいたはず。

間もなく平和な日々が戻って来るだろう。


しかし、今回の事件も
人々の心に大きな傷を残したことは明らかである。

とにかく今は、
亡くなった方々のご冥福を

心からお祈りするしかない。


*「ペンフワング(22111)」は「心配な(だ)」という意味である。

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2010年5月10日 (月)

マイアオパクチー

「43-28」


なんのことだかおわかりだろうか。

結婚適齢期でもなく、足のサイズでもなく
「最高ー最低気温」である。

暑い。たしかに暑いぞ、最近。
いよいよピークを迎えているのがよ〜くわかる。

少し前まではけっこう爽やかな風が吹いていて、
プチベランダと玄関扉を少し開けておけば
部屋の中ではさほど暑さを感じなかったが、
それもいよいよ止まった。

昼間は滅多に外出しないが、数日前
ちょっとした用事で十二時前に出掛けたら、
あまりの陽射しの強さに気を失いそうだったし。

エアコンが好きではないのでそれでも
扇風機のみで暮らしていると、常に体から
「じわ〜っ」と汗が滲み出してくる感じだ。

新陳代謝新陳代謝。
シャワーは一日二度三度。
毛穴に汚れも溜まらない。

43℃は北とか東の地方だが、
クルングテープも今日の予報では最高気温
39℃であり、現在洗面所の温度計は
33℃と、室内はさほど暑くないのだ。

そして、今の所空気はまだ乾燥しているが
日によっては湿り気を感じる時もあり、早くも
六月終わり頃には突入するであろう
「雨季」の到来をイメージさせられる。

それでも在タイ歴二年目のオレとってみれば
「一番暑くてこの程度か」という思いだし、
とにかく間違いなく言えるのは、
「寒いよりよほどマシ」ということだ。


百貨店というものは、いつの時代も
テンションを上げてくれるものだ。

幼い頃、母親に連れられてよくデパートへ行った。
屋上で変な乗り物に乗ったり動物を触ったり、
最上階の食堂で旗の刺さったお子様ランチを食べたり、
地下食料品売り場でゆっくりと回転する山積みの
アメやゼリイなどのお菓子を眺めたりと、
そんなことでもずいぶんと楽しかった記憶がある。

何もかもがキラキラして見える。
百貨店のイメージは今も変わらない。

B.T.Sプロンポング駅前にある、某
「EMPORIUM」は、公園の横に立ち、上階が
「サーヴィスアパートメント」になっている高層建物内のテナントだ。

オレが一番好きなのはサイアムにある某
「SIAM PARAGON」で、通称
「エンポリ」にはあまり行かないが、例の
「赤服」が道路を閉鎖しているため、パラゴンを始め
「サイアム→プルンチット」地区にある
六、七軒はもうずっと閉まったままなので、
五駅ほど離れた場所にあるここは、最近どうやら
「ウハウハ」の様子である。

別に目的があったわけではなく、ニッポンから
旅行にやって来た女子友達を案内するため
久しぶりに百貨店を訪れたのだが、やはり
なんだか楽しい気分になっているのがわかった。

「5」くらいは脈拍数も上がる感じ。

特に、五階にあるスーパーマーケット併設の食料品売り場は、
とにかくおいしそうなものがところ狭しと並んでいて、しかも
普段はお目にかかれないニッポンの高級ブランドの商品や、
生ケーキジェラードワッフルクッキーチョコレートプリン(!)
焼売肉まんお好み焼きとんかつコロッケ海老フライなど、
許されるなら全部わしづかみにして思い切り
「ムシャムシャ」したいような衝動に駆られる、まさに
悪魔の聖域なのだ。

タイピープルにも大人気の某「モスバーガー」で、
「ちゃんとした甘くない」アイスコーヒーを飲みながら、その日
「何を食べに行くかミーティング」を終え、
スーパーでフルーツやお菓子やコスメを眺めた後、フリーザーに
整然と並べられたニッポンのアイスクリーム達を発見し、
オレのテンションはついにピークを迎える。

雪見大福抹茶小豆もなかカルピス超ふっくらふわふわなめらか
などの文字を見ると、いてもたってもいられない気持ちになるのだ。
ショーケース丸ごと部屋に持って帰りたい。
それが敵うなら悪魔に魂を売り渡してもいい。


さて、結局その日はイサーン&ラオ料理(踊り付き)の某
「ヴィエンチャン」というデカいレストランで
「辛い辛い」「暑い暑い」と言いながら、Cカ嬢の嫌いな
「パクチー」と闘いながら田舎の味を堪能した。

「タイが初めての人に喜ばれる」と聞いて連れて行ったのだが、
雰囲気といい味といい値段といい、正直なところ
いまひとつだったかな(*ごめんなCカ&Sキ)。

「タイのパクチーはあまり匂いキツくないよ。
前はオレも好きぢゃなかったけど、こっちへ来てから
全然平気になってむしろ好き♪」

と説明をしてみたものの、やはり嫌いな人間にとって
「ダメなものはダメ」なのだろう。

タイ料理には大量のハーブを使うし、極端なことを言えば
「何にでも入っている」パクチーを、オーダー時に
「全て取り除け」というのも酷な気がしなくもないが、
苦手な人がいればやはりそうするのが
ベターなのかもしれないね。

「パクチーの匂いがさほどキツくない」などと思うのは、
タイに住むうちに感覚がすっかり麻痺してしまったせいだろうか。
もしそうだとしたらとても恐ろしいことだ。つまり
他のものごとにもそれが当て嵌まるとすれば、オレは
いろんな面において鈍感になっているのかもしれない。

「恐ろしいのは慣れよりも麻痺」というテーマで、
後日詳しく検証してみよう。

「お寺巡り」や「水上マーケット」など朝早いツアー連発だったし、
お嬢様方を赤服軍団に近づけるわけにもいかず、パッポンの
「ゴーゴーボーイ」にはお連れできなかったが、
「夜の部は次回」ということで早めにホテルへ送った。


ニッポンから遊びに来る友達を案内するのはなかなか難しい。
「何を求めているか」は人ぞれぞれだし、
「タイの良さを感じてもらおう」と、こっちが
思えば思うほど裏目にハマることもある。

だから、結局は本人達に任せた方がいいのだ、と、
最近は思うようになった。
最低限のルールやマナーさえ教えておけば、
とんでもないことにはなるまいし。

てことで、彼女ら(妙齢の女子二名)には
「タクシーの運転手には悪い輩が多いし英語がほぼ通じないから
乗るならホテルとか店の前がいいし、行き先は本を見せたりして
ちゃんとわかる人に説明してもらうように」と伝えた。

タイは治安が良くてバッグなどは放っておいてもなくならないし、
スリなども他の国に比べれば少ないのでは。
ただ、タクシーにまつわるトラブルがとにかく多い。
普段あまり乗らないオレですら過去に何度か
料金を払わずに勝手に降りたことがある。

結局場所をよく知らなかったり、明らかに大回りしたり、
気が短いせいなのか基本的に運転も荒く、
ファンキイなドライヴァーに当たる確率も高い。
派手なリアウィングやスポイラーを付けている車は要注意だ。

だから本当は二日目の夜ごはん、某
「ソンブーンシーフード(タイ中華フュージョン料理)」にも
付き合えば良かったのだが、変に気を遣って
彼女らに任せたのだ。

それがよくなかった。

「ダマされて偽ソンブーンに連れて行かれたの」

夜中、やや興奮気味に電話口で声を荒げるCカ。
そんな話を初めて聞いたオレは驚いて詳細を尋ねる。

泊まっているホテルはまあそこそこのクラスで、何故か
冷蔵庫の上にコンドームが置かれているのはお国柄だろうが、
雰囲気も内装も決して悪くはない。
ところがロビイの案内係に
「ソンブーンに行きたいのでタクシー運転手に教えてくれ」と頼むと、
「ソンブーンなんてダメだ。もっとおいしいところを紹介する」
などとまるで悪質ツアーガイドのようなことを言ってきたらしい。

「これはアカン」と、斜め向かいにあるもうワンランク上のホテル某
「クイーンズパーク」まで行って、今度は
ちゃんと説明してもらってタクシーに乗る。

しばらく走ってから駅の名前を告げられ、駅の目の前にある
「ソンブーン」に到着したらしい。

「おいおいソンブーン(本店)は駅前ぢゃないぞ」
「そうなの。だから結局偽モノだったの」

小泉元総理大臣、秋篠宮殿下も訪れたという某
「ソンブーンシーフードレストラン」は、
「プゥーパッポンカリー」という、
蟹をココナッツミルク系のカレーで炒めて卵でとじる
代表的なタイ料理で有名な店だ(*元祖と謳っている)。

これはかなり濃厚な味だがマジでウマい。そして
「Lサイズ」でも700THBそこそこという値段の安さが、
この店のウリでもあって、実際安い。
*メニュウには殻を外してあるものもあり、こちらの方が
見た目はしょぼいが圧倒的に食べやすいのでオススメ。

以前、ナゴヤの某クラブオーナーT氏をお連れした時も、
「大の蟹好き」を自称するT氏が、ありとあらゆる蟹料理や、
「巨大シャコ」などをさんざん注文して、満腹で苦しくて
とても食べきれないほどだったが、それでも全部で
3000THBほどだった(お酒はビール一本)。

三人だったからひとり当たり1000THB、つまり
三千円弱ならかなりお値打ちと思える内容であり、
「ウマいウマい」と涙を流しながら(?)蟹にパクついた後
支払ったご本人もビックリして、次の日も時間がない中
無理して訪れたほどお気に召したご様子。

で、偽ソンブーンはというと、
「プゥーパッポンカリー」が2000THB近くしたそうで、
五品ほど注文して二人で
3000THBほど払わされたらしい。

「どうやらおかしい」と途中で気付いたらしく、会計の時に店員から
「ふん。お前らもダマされたか」的な「嘲笑」を受けたという。
まあそれは本人談なので何とも言えぬが、
「微笑みの国タイ」で受けるはずの
「穏やかな笑み」とは、どうやら種類が違っていたようだ。

「だから明日ホンモノに連れてって!」と言う彼女。

「同じようなメニュウだと思うけどいいの」と聞いても、
「ホンモノが食べてみたい!」と、譲らない。
どうやらよほど
「アタマニキタ」のだろう。

というわけで、再び待ち合わせをしたのが
「エンポリのヴィトン前」だったのだ。


百貨店の件がいつの間にか詐欺まがいの話になったが、
とにかくその日は待ち合わせより早めに着いて
ウィンドウショッピングをしたというわけ。

そして、一目で気に入ってしまったのがこのバッグ。
暗くて手ブレしちゃったな。*3200THBの10%割引で2880THB。
Img_7167

いや、ちゃんと話は繋がる。

「オニヅカタイガー」はアシックスの前身なんだね。しかも
「ヅ」は濁らずにオニ「ツ」カタイガーなんだ。
知らなかった。
シューズはタイでも人気があって、けっこう
履いている人を見かけるが、実はアレ屋台の靴屋さんで
ニセモノがたくさん売っているのだよね。

クオリティーがなかなか高くて、ついつい
「一足買ってみようかな」と思ったほどだ。
一足1500〜1700THBくらいだからけっこう微妙というか
「絶妙」な値段かな。
アディダスやプーマやナイキもあるがクオリティーは低いし、
ドイツ系に関しては個人的に好きなだけに許せないものがある。
クイックシルバー(?)もあるが、
これはなかなかよく出来ている。

とにかく、オレとしては
自分が身に付ける物に一切妥協する気はなく、
いくら値段が安かろうがニセモノなんてイヤだ。
*コンヴァースの一件は、どうやら
「ライセンス生産」のようだと、勝手に思っている。

ちなみにオンリイショップは初めて見たが、
「タイ生産か」と尋ねると「ヴェトナムです」とのこと。
スニーカーの素材のレザーはやわらかくてかなり上質だ。
ハイカットもあって相当カッコ良かった。
タイに住んでいると5500THBは少し高い気もするが、
今度一足買ってみようかな。

ところでだ。

ブランド品の時計にしろバッグにしろ靴にしろ、
これらはニセモノだとわかって買うわけだから、
安くてモノが悪いのは承知だし納得できる。

しかし、偽ソンブーンの話はワケが違うのではないか。
場合によっては知らぬまま帰国する可能性だってあるし、
かなり悪質なような気がする。

それではゴーゴーバーのオカマちゃんを、
「可愛いオンナのコ」と思って連れて帰り、
やっちゃっても気付かずに帰国するオヤジさんと一緒だ。
いやちょっと違うか。

「可愛過ぎる」オカマちゃんに罪はない(?)。

たしかにニセモノだらけの国だし、
そんなことはよくあるのかもしれないが、パターンとしては
タクシー運転手と店が結託してマージンが発生するというもの。
少なくともその分は値段に乗っかっているに違いないから、
「ぼったくり」と言っても問題なかろう。

後日こちらに住む知人にその話をしたら、
「あ、僕もそこ行きました。なんか
<地球の歩き方>に載ってるみたいですよ」とのこと。

Cカ嬢達に会って店の写真を見せてもらったら、
看板もロゴもまったく別物だが、間違いなく
「ソンブーン」と読める。

「タイの印象悪くなったよね」
「もちろんよ」

悲しい気持ちになったが仕方ない。
旅行者に対する感謝の気持ちを忘れて
そういった輩が野放しになっているのも
タイの本質的部分なのだから。

「自分さえよければそれでいい」

国民全員
「ヘンゲートゥア(121122我が儘)」。
大袈裟に言えばそうなる。

一昨年空港を閉鎖した「黄服」にしろ、今の
「赤服軍団」のデモにしたって
つまりはそういうことなのだ。
そんな勝手な行動によって
「国全体がどれだけ迷惑を被るか」なんてこと、
「誰も考えていないのではないか」と疑ってしまう。

相手の気持ちを自然に思いやれるニッポン人の
「心意気」を誇りに感じ、タイという国が
「まだまだ幼稚」であると思えてしまう所以だ。
驕っているつもりはないが、どうしても
そういう感覚をぬぐい去れない。

良い面もたくさんある中での
「陰の部分」だということか。

少しづつでも
変わっていく可能性があると信じたいものだ。


というわけで、
「蟹のカレー炒め卵とじ(プゥーパッポンカリー)*殻抜き」
「空心菜炒め(パットゥブンファイデェーン)」
「春雨のサラダ(ヤムウンセン)」
「エビの踊り(クンソット)」
「エビの酸っぱ辛いスープ(トムヤムクン)」
以上五品と小ライスとスイカシェイクとお茶で、締めて
1250THB也。

ひとり約1250円なら、充分
お値打ちなのではないだろうか。

しかしウマかったな〜蟹のカレー。
カレーと言ってもまったく辛くはなくまろやかでコクがあって
ごはんや炒飯に混ぜると絶品だ。
「コレステロールが....」などと言いつつも満腹で大満足。
やっぱりたまにはおいしいものを食べないとね。

あ。
しまった。
「マイアオパクチー(パクチー抜きで)」
っていうの忘れてた。

二日前の件(生春巻き全滅等)を考えれば、
オーダー前、店員にひと言告げるだけで済む話。

本当にすまない。

タイに慣れて、いや麻痺してすっかり
「ゆる〜く」なってしまったオレを
どうか許してくれ。

パクチーのように扱わないでくれ。

今回のタイツアーで君らがどう感じたのかはわからないが、
オレにとってとても勉強になったことだけは間違いない。

実際、こんな「争乱」のさなか
本当によく遊びに来てくれたね。

あらためてお礼を言おう。

ありがとう。

もしよかったら
是非

またおいでよ。


*「エンポリ」の紙袋。
Img_7174

某「オニツカ」とおなじフロアにて
衝動買いしてしまった靴(1790THB→30%off 1253THB)。
Img_7168

「hey DUDE shoes」とかいう訳の分からない名前。
どこの国のメーカーなのかさえよく分からない(伊か?)。
Img_7169

ところがこれ、とてつもない優れもので
「めちゃめちゃ軽い」のだ。しかもクッションが丁度いい堅さで
生地も通気性がよく、裸足で長時間履いてもまったく問題ない。
柄違いをもう一足買おうかなと思っている。
Img_7173

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2010年5月 9日 (日)

ヤークダーイ

「マジかよ!」


タイで発行されている分厚いフリーペーパーの投稿欄を見て、
廻りに誰もいないのに思わず声が出してしまった。
独りでいる時間が長いとどうしても独り言が多くなるし、
それがだんだん気にならなくなってくるからちょっとコワイ。

とにかくそこには、去年TOKIOで購入した
「iBook OS-X10 4.11 2G」しかも
音楽を聴くのに使っただけでほぼ新品同様。という
「売ります」広告が出ていたのだ。

しかも、もしそれが本当なら
20000THBは格安ではないか。

これって偶然?
それとも運命??

数年前、ある女子がオレに向かって吐いた
「出逢いに偶然はない」という名ゼリフを思い出した。
その件はいつかここに書こうと前から考えていたのだが、
「人」と「機械」の出逢いにもそれは通用するのだろうか。

「はい。もしもし」
「あの、タイ自由ランドを見てお電話したのですが」

早速連絡してみたら、ニッポン人女性の声で
「雑誌が出た当日に売れてしまいました。
また何かありましたらよろしくお願いします」とのこと。

慣れた受け応えだったので、おそらく
相当数の電話があったのだろう。
何しろタイにはニッポン人が(大使館に登録しているだけでも)
五万人ほど住んでいるのだから。

ていうか
「また何かありましたら」って、お前まだ
オレの欲しいもの持ってるのかよ。
な〜んて言っては身もふたもないね。

やっぱりあれは
「人と人の出逢い」の話なのか。

ちぇっ。

ただ、今日は「iBook」嬢の調子が良く、しかも部屋に繋がる
「SDNL」的な有線ではなく、たまたま拾っている
「WI-FI」のおかげでスピードもちょっぴり速いし。

しかし、このタイミングであんな記事を見るなんて
いくら偶然とは言え驚きだ。だって
「五年だし、そろそろ寿命か」と、
「買い換え」を検討し始めたまさに当日だからね。


それにしても、
「物欲」というのは不思議なものだ。

ついこの間まで
「欲しいのは物欲そのもの」という
パラドックスに悩まされていたのに、
なにがきっかけかはよく分からぬが
今は山ほどあるぞ。

これは、もう少し突き詰めれば
「老いと成長の狭間現象」という、最近のオレがもっぱら
「ハマっ」ているとても重要なテーマにも関係がある。つまり
「老いていく事への恐怖」と
「年齢を経て感じる成長」という、
相反する感情に挟まれて揺れる心についてであり、オレ達
「アラフォー世代」あたりから起き始める現象なのでは、と、
個人的には推察しているのだが。

例えば、
「丸くなった」という表現は、若かりし頃「尖って」いた人間が
「(年を経ることにより)角が取れてきて温厚に」なることを指し、
それを人から言われたりふと自覚したりして
「エッジが効いていた時代を想って」胸を痛めるなどというのも、
代表的な事例だと考える。

ある意味「成長」とも捉えられるが、
「年を取ったのかなあ」とがっくりもする。
これはけっこう寂しいものだ。

あとは、
「この世に何か足跡(そくせき)を残したい」という想いとか。

ある程度の年齢になれば、今までやってきたことを活かして
「人の役に立ちたい」とか
「何かカタチを残して人々に感動を与えたい」
などといった気持ちを強く持つようになったりするもの。
そんな自分に人間としての成長も多いに感じるが、逆に
「死への恐怖」も色濃く感じる。

ひょっとしたら男女ではちょっと違うかもしれないが、とにかく
この手の感情にヒジョーに悩まされている今日此の頃なのだ。
そして、オレの場合はそこにもう一つ加わって
「自分は本当に(年齢なりに)成長しているのかどうか」という
「自信」の無さが「自己嫌悪」へと追い打ちをかけるので、更に
やっかいなのである。

「物欲」については、個人的に
年を経るごとに減っていく気がずっとしていた。
「性欲」と連動するようにだんだん欲する感覚を失っていく自分を、
なんだか寂しく感じていた。

「モノ」なんてなくたって充実した日々は送れるのだ。
そんな考えを
「成長」と捉えるかどうかは微妙なところだが、とにかく
お金がないならないなりに
「別に欲しくもない」という気持ちは、どうも
モチベーションに繋がらないので困ってしまう。

昔は欲しいものもたくさんあったし、そこそこ
手にも入れてきたのに。


若かりし頃は、後期ではあったが一時
「バブル景気」に浮かされており、今となってはとても考えられない
何十万円もの給料を、毎月一銭残らず全部使っていた。
特に父親の会社の役員だった時、車は会社名義、
ゴルフ代飲食代(接待時)などは経費扱いなので、そんな大金を
いったい何に使っていたのかよく分からないし、考えてみれば
当時もよく分かっていなかった。

やはり「ファッション」と「おねーちゃん」かな。

イタリア製の高級スーツにとんでもない(派手な)柄の
ネクタイをしてふんぞり返って片手で車を運転し、
錦のホステス嬢達と朝までカラオケとか、
ディスコのV.I.Pルームで裸同然の女子を侍らせたりとか。

ゴルフ帰りに超ウマいもの食べてそのままソープランド、
とかもよくやっていたっけな。

今書いただけで顔が真っ赤になるほど恥ずかしいが、
あれはあれで楽しかった覚えがなんとな〜くうっすらとはある。

あ、思い出した。
そーいえばギャンブルもよくやったぞ。
そしてよく負けたわ。

パチンコはほとんどしなかったが、
ゴルフの握りから麻雀競馬などなど。
中でも一番ヒドかったのはカジノかな。
例の「バカラ(破産っていう語源)」ってヤツ。
バブルの頃はもうそこら中にアングラカジノがあって、
地下にあるような大きい店はもちろん、
某有名シティ−ホテルのスウィートル−ムに
「バカラテーブル」一台のみとおにぎりやつまみや
酒などが用意されている、なんてことも。

対戦相手は皆あぶく銭でガンガン賭けてくるから、最終的には
「懐の深い者が勝つ」という法則があった。つまり
オレのような薄っぺらい輩は必ずやられる仕組み。
金持ちなんて腐るほどいる時代だったからね。

とにかくあの頃は有り余るほどの物欲があったことは
間違いないし、それが多少なりとも
「頑張ろう」という気持ちに繋がってもいた。

ところが今や
「半隠居生活」である。
もーなさけないったらありゃしない。

ただ、ここへ来てむくむくと沸いてきた「物欲」。

「iBook」「ミニ(車)」「コンドー(ミニアム*分譲マンション)」
「TITELISTのクラブ(ゴルフ)」などを始め、先日ニッポンの
「UNO」なる「モノマガジン」的な雑誌をパラパラ捲っていたら
「高級腕時計」のページに目が留まり、
「カルティエ」だの「ブルガリ」だの「パネライ」だの
聞いたことのないブランドだののカッチョいい時計が
「無性に」欲しくなった。

「もうオレも大人なんだし、タイ人はみな
金のアクセサリイが好きだし、ゴールドがいいなあ」
な〜んて妄想しつつ値段を見ればどれも
数百万以上するではないか。

ただ、タイでのTシャツジーンズ姿にそんな時計では
なんだかおかしいので現実的ではないが、そーなれば
「カッコもそれなりにパシッと決めてみようかな」な〜んて
ちょっと発展的な想いになったのは確かだったのだ。

そーいえば、店を閉める時のバタバタで無くしてしまった
「Bzero」とかいうシリーズのブルガリのリング(ホワイトゴールド)は
いったいどこへいっちゃったのだろう。
けっこう気に入ってたのにな。

そんなことを思い出して、一瞬、
ほんの一瞬だが、欲しいものを手に入れるために
「お金を稼ぐ」→「ニッポン帰国」というイメージが頭に浮かんだ。

「ニッポンに戻る」などという発想は、
タイに来てから初めてでちょっと驚いたのだが。

「タイで稼ごう」ではなくそれがニッポンだったのは
それらを身に付けても誰もわからないだろうことと、
ファッションに関してなら四季のあるニッポンの方が、
より楽しめるから、という発想だったのかな。
とにかく、一瞬の短絡的な考えには違いあるまい。

それが確か先々週のことだったろうか。
以来ちょっと物欲が復活して、今では
欲しいものがけっこうある。

きっかけは今ひとつ釈然としないが、とにかく
「欲」があるに越したことはないので、これはなかなか
「良い兆候」と捉えるべきだろう。

ちなみにタイには男子の服であまりカッコイイのがなく、
ブランド物も大したことないくせにやたらと高いので、こちらへ来てから
Tシャツやジーンズくらいしか買っていないのだが、いい加減
若作りも程々にしてもっと
「大人のファッション」をしてみようかな、とかね。


というわけで、先日久々に訪れた百貨店、某
「エンポリアム」で一目惚れしてしまった某
「オニヅカタイガー(ヴェトナム生産)」の
「メッセンジャーバッグ」を、今から買いに行こうかな。

物欲に刺激されて、
やる気がでるようになれば

いいんだけどね。


*「ヤークダーイ(111332)」は「欲しい」の意。

同じく某「エンポリ」の会場で販売していた
「コンドー」のパンフレットをもらってきた。
場所は今住むところをもう少し東に行ったバンナーの駅前で、
「スタジオタイプ(1ルーム)」で207万バーツから。
「1LDK(42.91㎡)」の部屋(写真)が欲しいな。
そして、欲しいものがあれば冷蔵庫に貼るのだ。
Img_7164

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2010年5月 8日 (土)

スアシーキアオ

「しまった」
と思った時にはもう遅い。

それが世の常というものだ。

いつの時代も。


言い訳ではないが、と書いた途端すでに
言い訳が始まっていることは承知済みだが、とにかく
ここのところしばらくブログをアップできなかったのは
パソコンがぶっ壊れた為である。

機械にはまったく疎くて、未だに
「ファミコンをTVに繋げないレヴェル」にあるオレとしては
どーしていいのやらまったくわからずにただ部屋を
ウロウロするのみだが、原因はおそらく
「迷惑メール」を開いてしまったからであり、まるで
宇宙人の言葉のような文字の羅列を見て、思わず
冒頭のように声をあげてしまったというわけだ。

コンピュータが何でできているかさえ知らぬが、一応
ウィルスに冒されるとダメダメになってしまうことくらいはわかるし、
案の定突然メールがチェックできなくなったり、
ネットが繋がるまでに小一時間かかったりすれば
「ああやっぱりか」となるのが自然の流れで、今更
「ウィルス対策」などと検索してみても
どうしようもないのかもしれない。

ただ、気まぐれなオレの
「iBook G4」嬢は、さっきまでまったくダメだったのに、
何故か突然調子良くなったりするので、こうして今
なんとか辿り着いて
「新規記事を作成し」ている。

無事アップできるかどうかは別にしてね。

久しぶり過ぎていったい何を書けばよいかわからないから、
我が身に起こったことを振り返ってみる為にも、とりあえず
遡って思い出すままに文章を羅列することにしてみよう。

前回が4/26(月)ということはもうすでに
十日以上経つわけか。
ひょっとしたらオレがどうにかなってしまったのでは、と
勘ぐる人も中にはいるのかな。
いやいやそれは思い過ごしだろう。
自分がそうであるように、身近でない他人のことになんて
誰も興味ないのだから。


月曜日。

家を出たのは昼頃だったかそれとも朝一番だったか。
支度を終えた後に、
旅行バッグの写真を撮ったことだけは憶えている。
Img_7159

コーンケーンを訪れるのは二度目なので様子もわかっており、
記憶を辿りつつ街、いや、町をふらふらしてみる。
前回A嬢と出逢った場所にはもうすでに雑貨屋はなく、
突然顔を見せて驚かせようという心積もりは
あえなく空振りに終わる。

わざと連絡を絶っていたというのに。

今ひとつテンションも上がらぬまま
ただ時間だけが過ぎていった。

火曜日。

午後のバスでラオ(ス)のヴィエンチャンへ移動。
この時はまだ気が付かなかったが、実はすでに
「重大なミス」を犯してしまっていたのだ。
それも、ただの勘違いというケアレスミスであり、
余計に腹が立って仕方がない。

今回の訪問の目的は、正確に言えば
いつものようなヴィザの更新ではなく、滞在期限の
「九十日目」を迎えるにあたり一旦国外に出ること。

クルングテープから一番近いカンボジア国境往復が
「ラク」なのだが、敢えてラオに行ったのは
二度目のコーンケーンツアーを実施するためであり、
最近煮詰まっていた心の拠り所をさがすためでもあった。

しかしこのツアーをきっかけに、心は更に
「ダークサイド」に向かって彷徨い始める。

いつもいつも思い通りにいくとは限らない。

人生なんてそんなものさ。

きっかけは雨だった。
あの雨から何かが狂い始めたような気がする。

某ディスコ「フューチャー」に向かう時点ではまだ
パラパラ(もちろん雨のことだ)で、
「踊っているうちに止むだろう」とタカをくくっていたのに、某
「ドンチャンパレス」ホテルまで移動しようと店を出て、
降りしきる雨が止むのをしばらく待ってはみたが、
決して気の長い方ではないオレは、
隣にいる娘(むすめ)の言うがまま、
彼女のバイクの後ろに乗って宿まで帰った。

例え1000バーツだろうが、
2000でも300でも30000でも一緒だ。
女子をお金で買ってロクな目にあったことがない。

その先に待っているのは激しい脱力感と、
気の遠くなるほど果てしない自己嫌悪のみ。

そしてこの
「自己嫌悪」こそが、オレの中に眠る
「ネガティヴ」を引き出す元凶なのだ。

そのムスメを部屋から追い出して鍵を閉めた途端
立っていられない程の強烈なめまいに襲われ、
ベッドに倒れこむようにして深い眠りに就いた。
*「昏睡強盗」に一服盛られたわけではない。

水曜日。

一旦坂を転がり始めればあとは速いものだ。
それほどの「高み」にいなかったことが幸いであるが、全てが
「悪い方」へと向かっていくような、そんな
「苦〜い」味が、胸の奥でしだしたのはたしか
この頃だったか。

国境の町ノーンカーイのタイ側
「イミグレ(ーション)」の窓口の前で、
呆然と立ち尽くした理由は、
ヴィザのシールに貼ってある期日と、
「90日間」の滞在期限にはズレがあり、
タイ再訪が一日遅かった為に、ダブルで取得した次の
「90日間」分のヴィザが失効してしまったことを
係官から聞いて知ったからだ。

たった一日である。

つまり、ヴィエンチャンに一泊などせずその日のうちにタイに
「再入国」していればだいじょーぶだったのか。
そうすればあんなムスメとあんなこともせずに済んだのに。

なんと愚かな。

そしてバルサは敗れた。

試合には勝ったのだが、
決勝には進めなかった。

一見すると、オレの人生の中では
ほんの小さな出来事に思えるけれど、
タイへの移住と連動するように調子を上げていった
「FCバルセロナ」の好成績こそが、
上がったり下がったりする気持ちを陰で支えてくれていたのは、
「チャンピオンズリーグ連覇!」の夢を砕かれたことによる
ショックの度合いで、なんとなくわかった。

たかがサッカー
されどサッカー
なのだなと。

この日は、以前から
コーンケーンに興味を示していたSちゃんと現地で合流し、
町を案内した後、夜はディスコへ繰り出したものの、
TVで試合中継を見る為深夜一時半には部屋に戻らねばならず、
興味のない彼を付き合わせてしまった。

眠剤なくして寝られるはずはなかった。

木曜日。

滞在三日目ともなると町の雰囲気にも馴染んでくるもので、
ニッポン人の少ないコーンケーンで浴びる人々の視線も
あまり気にならなくなる。

この日はたしか
「K.K.U(コーンケーンユニヴァーシティー)」というかなり
どデカイ大学(Sちゃん曰く某筑波大並み)に行ってみたり、夕暮れの
「ブエン(湖)コーンケーン」を散歩してみたりだったか。

ソンクラーン休みのため、超エロい
「パツパツ制服姿」の女子大生には
なかなかお目にかかれなかったが、かわりに
ビーサンを履いたパッツンカットの、まだ純粋そうな
「素朴的十代半ば女子」にはたくさん会った。

そうだ。
「グリーンの君」を見掛けたのはこの日だった。

前日、久しぶりに会って一緒にごはんを食べた、
プレゼントを渡しても、鍋を食べ終わってお金を払っても、
「コップンカー(ありがとう)」のひとことも言えない
A嬢のことなんてすっかり忘れてしまうくらいの
衝撃を受けた。

理由がある。
オレが未だに心の奥底で想い続ける
Mリに容姿がそっくりだったのだ。

バイクをノーヘルで運転してやって来てオレ達の目の前に停め、
後ろの座席の友達と一緒にスタスタ歩いて行った
「グリーンの君」を見て、ちょうどその時
「どんな顔(やスタイル)が好みか」という話をしていたから
「あのコはかなりタイプだな」とSちゃんに告げ、
ひょこひょこと後を追いかけて立ち止まった彼女の顔を
斜め四十五度の角度で、2mほどの距離で見た瞬間、
オレの目の奥がバチバチとスパークした。

遠い記憶の中のMリと緑の君が見事にシンクロするのを
ハッキリと感じ取れたのである。

唐突過ぎて声は掛けられなかったが、
湖に行けばきっとまた会えるような
そんな気がする。

金曜日。

土曜の夕方にはクルングテープに戻らねばならぬので、
翌日朝一番のバスのチケットを購入し、実質的には
この日が最終日となる。

夜の町の様子も、
週末を経験してみないことにはわからないから、
そういう意味では夜になるのが待ち遠しかった。

「ジョニ赤(1L)」がなんと399THBという
「超お得プロモーション」で集客中の某
「U BAR」が、今一番「アツい」ことを確認しつつ、
オレ達はけっこう楽しい一晩を過ごす。

「また来たいっすね♪」

おそらく心からそう言ったであろう彼の言葉を鵜呑みにすれば、
「可愛いコがいっぱいだから」とSちゃんを誘ったオレとしても、
この日ようやく面目を果たせた気がした。

実際、来週もオレ達は行くのだ。
「湖と大学の町」コーンケーンに。

土曜日。

相当酔っぱらって宿に帰った二時間後、
部屋を出るときは大雨だった。

七時四十五分初のバスに乗り、
七時間後には部屋に着いた。

体重計に乗ってみたら、
二キロも増えていた。

この日と翌日は仕事であり、合間に
溜まっていたDVDを見なくては(?)ならなかったので
ブログを更新することもできず、訥々と時間が過ぎる。

そして、コンピュータとオレの心は
時間と共に徐々に固まっていった。


先週一週間のことを羅列するとこうなる。

怪しいメールを開いたのはツアーの前であり、
動作がおかしくなったのは戻ってから、つまり
パソコンを再び使い始めた今週からだ。

タイミング的に完全に一致する。

ウィルスに冒されてしまったのは
パソコンだけではなかったのか。

だとすれば
いったいどうすればいい。

機械にも人の心にも無知なオレに
わかろうはずもない。

完全に
お手上げ状態なのである。


*「スアシーキアオ(3212112)」とは
「緑色の服」の意。

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