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2012年7月30日 (月)

マオマーク

http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=267


もうメチャメチャである。

朝から酒を飲んで友人にからむ78歳もなかなかのものだが、
酔っ払いの戯言を真に受けて(?)、持っていたハサミを
「思い切り」突き刺してしまう(おそらく素面であろう)
同い年の友人がスゴイわ。もちろん
「不死身」なわけないし、友人なら
「酒癖が悪い」ことだって知っていただろうに。

酔っ払って皆で
「ロシアンルーレット」をやってみたりとか、
タイ男子には(女子に劣らず)
「ファンキイ」な輩が多いし、このように
「殺人事件」であるにも関わらず、思わず
笑ってしまったりツッコまずにはいられないような
ニュースが本当に多いのも、この国の
「アメイジング」な部分と言えよう。

「ベランダから衝動的に飛び降りるタイガール」といい、
「人命」に対する意識の低さには、まったく
驚かされる限りだ。


というわけで、
もうすでにお気付きの通り
「日記を綴る」のはやめて
「タイのニュースを検証する」ことにしたわけだが、
ネットのニュースのウェブアドレスを
「コピー&ペースト」しても、何故か
「クリックすればそのままページに行ける」
ようにはならない。

どーしたらいいものか。

いくら機械に弱いとは言え、
こんなことすらまともにできぬとは、我ながら
情けない限りである。


だとしても、まあ、さすがに
悲観に暮れて朝から酒飲んで
酔っ払いなど

しないけどね。


*「マオマーク(22332)」は「酔っ払う」の意。

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2012年7月29日 (日)

トク

http://www.newsclip.be/news/2012727_035259.html


地方都市の中でも、やはりパタヤーは
ニュースに登場する回数が多いし、その内容も
「犯罪絡み」がほとんどなのは、この街の性質上
致し方ないところだろうか。確かに
ここ最近徐々に客層が変わりつつあるとは言え、
「猥雑」と「喧噪」の雰囲気はしっかりと
「健在」だし、同じく有名なビーチリゾート
プーケットと比べるとどーしても
「下品」さが目立ってしまうし、おそらく
犯罪の発生率も高いに違いない。

そんなパタヤー関連のニュースの中でも、特に目立つのが
「外国人、ベランダから飛び降りる」というもの。

国籍は様々だが、観光客長期滞在者に関わらず、
ホテルコンドミニアムアパートなどいろんな所から
次々と飛び降りる。そして、何故か
西洋人の男性が多い。

実際タイガール達も、全国各地のアパートの
ベランダからやたらと飛び降りるがいずれも
「痴情のもつれ」と理由はハッキリしており、
「相手と揉めた上でアツくなり勢い余って」という状況も、ほぼ
変わることはない。しかし、
外国人男子の場合、理由がよく分からないのだ。

喧嘩などで相手が現場に居る場合は別だが、
単独のケースだと、状況からある程度
想像はできたとしても、本当の理由はあくまでも
謎のまま。

もちろん統計をとった訳ではないが、
クルン(グ)テープのベランダよりも、
パタヤーのベランダからの方が、より多く
外国人男子が飛び降りている気がする。

ホテルアパートコンドーの数や、
宿泊客在住者の数は圧倒的に多いはずの
クルン(グ)テープよりも、何故
パタヤーなのか。

そこから如実に
浮かび上がってくるものとは......。

というのが、いわゆる
「統計学、社会学」なのだろうが、あいにく
オレは学者でもないしそんなにヒマでもない。

いや、充分ヒマか。


とにかく、TVやネットでニュースをチェックしている限り、
ここ四年ほどの間に、パタヤーの
ベランダから飛び降りた外国人男子は結構な数であり、
「浮気がバレて本当にチ○コ切られ(かけ)たタイ男子」
(これもなかなかの数)よりは間違いなく多かったはず。
いずれも、ニッポン人の感覚からすれば
「え?またなの」という頻度でそれらの
事件は起こるのだ。

逆に、ニッポン人が
「ベランダから飛び降りなさ過ぎ」もしくは
「チ○コ切られなさ過ぎ」なのか。それとも
ニッポン在住の外国人男子が
「ベランダから飛び降りなさ過ぎ」ってこと?

いや、違うだろう。

やはりそれらは、この国の
「アメイジング」が成せる技なのだ。


というわけで、
「一体何故、パタヤーのベランダから?」
という件は、又次に
誰かが飛び降りた時、

深く考えるとしよう。


*「トク(11)」は「落ちる」の意。

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2012年7月 8日 (日)

トーパイ

「他人との交流を減らす」と言っても、事実上
これ以上減らしようがないほどシンプルな現状。

とりあえず、某
「mixi」から手をつけてみる。

キッパリやめてしまおうかとも考えたが、開始当初
結構真剣に書いていた日記が消えてしまうのはマズいし、
「コミュニティー」の書き込みを読んだりと、実際、たまに
使ってもいるのだ。しかし、最近は某
「facebook」が人気で、どうやら
「マイミク」達もほとんどやっていない様子。
というわけで、百数十人から一気に
二十数人まで減らす。

途中、
「あ、そー言えば」と思い出し、
「別アカウント」のページを久しぶりに覗く。
「マイミク」が増えるに従って日記が書きにくくなり、
「リアル」な話を書くために仕方なく取ったのだ。

2006年10月〜2007年4月の間、
他の二つの日記と平行して書かれていたその
「リアル」な話は、読み返してみれば、やはり
かなり面白かった。

「うむ。日記とはこうあるべきだな」

時代に逆らうのならば、
今となってはもう誰もやらない某
「mixi」を使うのも一つの手ではあるし、今後は
そっちに書いてもいいかもしれない。


さて、ブログの方はどうするか。

このまま
「閉鎖」もしくは
「放置」する手もあるが、
そう簡単にいかないのには、
三つの理由がある。

一つ目は、当然ながら
今まで支えてくれた読者の方々に申し訳ないからだ。

何度も書いているが、実際、この
ブログには大変お世話になっており、特に
タイに来てからはずっと、オレ自身の
精神的な支えであったことは間違いない。
日々の生活を送る上でとても大切な
「リズム」の中心的役割を担ってきた。

「増え過ぎた」と文句を言ってはいるが、それもこれも
「読者」の方々が居てくれたお陰であり、
「アクセス数」が安定しているとうことは、おそらく
定期的に読んでくれている方もある程度おられるわけで、
「ファン」と呼ぶのは大変おこがましい限りだが、一応オレの
文章なり何なりを気に入ってくれているそれらの人々には、もちろん
心から感謝しているし、もし仮に、例えば
「一服の清涼剤」として、読者の方々の生活にも
お役に立てているとしたならば、それは
とてもありがたいことであり、彼らから
何らかの期待があるとするならば、
裏切るわけにはいかないのである。

二つ目は、ニッポン人としての
「アイデンティティー」を見失うのがコワイから。

もちろん、
「すっかりなくなる」ということはなかろうが、異国で暮らすうち、
「ニッポン人らしさ」を忘れてしまう恐怖はいつもある。
そんな中、主に在タイのニッポン人向けに発信するこの
ブログこそが、オレ自身の心の中にある
「ニッポン」を意識し続けるために役立ってきた件も、
動かせぬ事実なのだ。

今のニッポンは好きぢゃないしまったく魅力を感じない。そして、
未来に希望なんてこれっぽっちも持てないけれど、それでもオレは
いつまでもニッポン人だから。

三つ目は母親のためだ。

遠い異国で生活する息子のことが気になり、
くだらない内容とは知りつつ、どーしてもこの
ブログを覗いてしまう。
電話やメールでも送ればそうはならないだろうが、
一切しないのだから仕方あるまい。

これをやめてしまったらいよいよ掴めなくなる
「息子の消息」。かと言って、
ここまで赤裸裸な日記を読まれるのは正直、かなり
苦い思いでもあった。


以上の要件を鑑みて、
「今後どーするか」が、オレの中で固まりつつある。

ここは原点に戻り、
「アメイジング」なタイランドの魅力について
もう一度じっくり考えてみる、というのはどうだろう。

「プライヴェート」を晒すのがイヤなら
「日記形式」をやめればよい。あくまでも
「コラム」として自分の考えを綴る。これならば
「自由な生活」を損なわれることはないのでは。

今でもほぼ毎日チェックする、某
「バンコク週報」などのニュース記事から
「アメイジング」なものを取り上げ、あくまでも
ニッポン人目線でツッコむ。
「アイデンティティー」を見失わず、更新さえすれば
母親は生存確認ができるし、
読者とも繋がっていられる。

赤裸裸でない分内容はつまらなくなるかもだが、オレの性格上
読者がいる限りそれなりに一生懸命やるのではないか。

いなくなればそれはそれで仕方ない。
「文章を綴る」ことによって欲求は満たされるわけだし、これ以上
他人との交流が減ったところで、オレのくだらない思想が
「劇的に変化」するはずもあるまい。

如何だろうか。


いずれにしても、残念ながら(?)もうこの場で
「日々の暮らし」を綴ることはなくなるわけだ。

というわけで、今日の夜から
ニッポンに行ってくる。

日記らしい記述はこれで最後になる。

オレがどこで何をしているかは、もう
誰も知る由はない。


こんなゆる〜い生活を、
陰で支えて下さっていた皆さん。

今まで本当に
ありがとうございました。

今後はますます
ゆる〜く楽しく暮らしていくつもりです。

ではまた。


*「トーパイ(2222)」は「次に行く」の意。

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2012年7月 7日 (土)

プークパン

本来ならば
「友達の結婚式の話」とか、
「ウドンターニー旅行の件」について書くべきところだろう。

そんな風にして、日常生活の中で経験した出来事やエピソード、
それらについての感想などを綴って来たのがこのブログであり、
アメイジングであろうがなかろうが意見が合おうが合うまいが
「ふ〜ん」てな感じで読む人達が居る。

楽しいことがあれば喜びを読者と共に分かち合えるよう、
悲しいことがあればその思いを打ち明けた上でなるべくならば
笑いに変えられるように、と表現に工夫もしたけれど、ただの
「愚痴」に終始した日だって、やはり、
少なからずあったはず。

時には悩み、日記の中で
「答えを探ろう」と試みることもしばしば。
実際、独りで悶々とするよりは、こうして
読者の前で曝け出すことによって
「スッキリ」と気分がラクになるのは間違いないわけで、
「ブログのお陰で助かった」ケースも多々ある。

そして、現在頭の中の大部分を占めるのは
「今後どうするか」についてであり、ブログ自体の
「存続」がかかっている以上、通常のように
エピソードについて語るような状況ではないという件を、
どうかご理解いただきたい。


今、オレは岐路に立っている。

人生において、そーいうことは
何度も何度も訪れるし、今までだって
その場の自分自身の判断で
「どちらの道を行くか」を決めてきた。

今回はさほど大きな分岐点ではない。木で言えば
「小枝」程度のものであろう。
しかし、我が人生の木は、もう
随分先の方まで生えてしまっていて、今後も
「どんどん伸びていく」ということはないから、その
「小枝」にも気を抜くわけにはいかぬのだ。

そして、方向としてはヒジョーに
「危険」であることも充分承知している。
もう後戻りできない可能性がかなり高いからだ。

具体的に言えば、例えばある人はそれを
「沈没」と呼ぶかもしれない。

海外でひっそり埋もれて生きる。

表現としてはあまり好ましくないが、個人的にはさほど
「ネガティヴ」に捉えてはいない。むしろある意味
「前向き」であり、オレにとっては
「チャレンジ」でもあるのだ。


世の中はどんどん進化し、人と人との繋がりや
「コミュニケーション」の手段、内容も変化してきた。

ケータイ電話での会話やメールのやり取りなどを経て、
「インターネット」の発達で登場した
「SNS」「ブログ」「ツイッター」など、様々な
「ツール」を利用して、日夜行なわれる
「コミュニケーション」の数々。

便利になる一方で、ある種の
「違和感」や「恐怖」を憶え、
「危惧」しているのは、おそらく
オレだけではあるまい。

古い人間だから
「(時代の波に)ついていけない」ということだけではなく、
「これが果たして本当にいいことなのか」と、
戸惑う場面が増えてきたのだ。

例えば、某
「twitter」というヤツ。

「今、どこどこでなになにしてます」。

友達のいない、他人に
興味などないオレからすると、いろんな意味で
「スゴイな」と思う。そんな風に
「自己主張」できるパワーもスゴいし、
「コミュニケーション」能力もスゴい。
ただ、それによって自分の行動が
「縛られる」ような気がしないのだろうか、とか
「自由」が制限されないのか、と、不思議にも思う。

オレがもし始めたら、おそらくめちゃめちゃ
「他人のことを気にして」生活するだろうな。

ちなみに、某「mixi」にも
「今何してる?」的なのがあって、おそらく某
「twitter」と連動しているようで、いろんな人が
「つぶやいて」いる様子が分かるが、なんだかどーも
違和感があるのだ。

重要な件もくだらない件も含め、
情報が氾濫し過ぎてはいまいか。

「みんな、無理して生きてない?」と、正直感じるが、
「きっと余計なお世話なんだろうなあ」とも思う。

このブログにしてみても、ある種
「自己主張」の側面を持っており、
「現役」でもなんでもないこの怠け者のオレが、
エラそうに何かを主張するのは如何なものかと。
読者が極端に少なければまだ良いが、
ちょっと増えてきた今は、照れくさくもあり
「ビビ」ってもいる。

とにかく、オレが今
「時代の最先端」を生きているならともかく、むしろ好んで
「時代の流れ」に逆らって生きる道を選ぶのなら、そろそろ
本格的にそっちに進むべき時が来たのでは、と、
考えてしまうのである。

そもそもタイに移住したのは、もちろん
気候の良さもそうだけど、この国の
「昔のニッポン」的雰囲気が気に入ったからなのだ。
少なくともここ十数年のニッポンがイヤだったから
あの国を離れたのではあるまいか。ならばこのまま
「時代に逆行」するのもひとつの生き方。

と言っても、特に何かが変わるわけではなく、
ニッポン(及びニッポン人)との交流を減らすだけのこと。

もちろん
「ゼロ」にはできないから、
少しづつそれを実行しようと、
今は考えている。


縛られたくない。
自由でいたい。

ただ
それだけなのだ。


*「プークパン(1122)」は「縛る(束縛する)」の意。

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2012年7月 1日 (日)

タイループ

「写真見せてよ」


Lウ嬢に言われて
「一枚も撮ってない」と答えると、彼女は
「マヂで?」と、かなり不思議そうな顔をする。

友達の結婚式から帰って来たオレに、
「どんな状況だったか」を尋ねつつ
写真を見たがるのは当然のことだが、
こちらとしては、今となってはすっかり
「掃除洗濯女」と化したLウ嬢が
部屋に居るなどとは思っていなかったし、
「式の様子を誰かに伝える」という状況をまったく
想定してもいなかった。

考えてみれば、
「写真を撮る」という行為はいつの間にか
「ブログにアップする」ことがメインの目的になっており、
コンパクトカメラを買ったのもそのためだし、実際
「アップ」し終えた後はすぐに
「データ」を消去するのがルーティンとなっている。つまり、
「想い出を画像として残しておこう」という気が、基本的に
「なくなってしまった」ということなのか。

もちろん、ブログの記事自体が
「想い出保存」の役割を担う件もあるけれど、それよりは
「読者にリアルを伝える」という目的が主であって例えば
人の顔がハッキリ映るものなど、想い出に重要な写真は
載せられない(自重している)から、あまり意味がないのだ。

昨日の結婚式にしても、以前なら
「ブログに載せよう」とハリキって写真を撮ったはずだが、
そんな気も薄れた今は、一応持って行ったカメラに
触れることすらなかった。

このように、なんとな〜く薄ら寒い現状も、本人としては
「行くべき方向が見えてきた」ような気がして、実は
まんざらでもない。

今はただ、そんな自分の気持ちを確かめるように
文章を綴っているだけだ。


今日から三泊四日の
ウドンターニーツアーへ出掛ける。

タイの中では特に気に入っている土地であり、
パタヤーと共に移り住むことを検討した都市。


そしてカメラは

持って行かない。


*「タイループ」は「写真を撮る」の意。

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