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2013年3月30日 (土)

故人を偲ぶことくらいしかできない

個人的には何の宗教にも属さないので、いわゆる
「喪に服す」という、具体的方法をよく知らない。

ただ、よく言われる
「故人を偲ぶ」ことくらいならできるので、まあ、
オレなりにやってみようか。


A嬢の同僚で同郷出身でもある為か、とても仲良しで
アパートの同じ階に住んでもいたMトは、今年三十才。
八才になる息子を持つごくフツーの女子だった。
本人は、小さい目と胸にやや
「コンプレックス」を感じていたようだが、
気にするほどでもなく、容姿も人並みだと思う。

A嬢のことを気に入って二度目にペイバーした時、
一緒についてきてごはんを食べて以来店でもよく
話すようになり、タイミングさえ合えば、三人で
いつものレストランに行ったものだ。

ある日、何だか元気がなくて、どうやら
カレシとなかなか会えないのが原因らしく、
「妻子持ちだから仕方ないよね」と嘆く彼女に
「愛人と割り切って言いたいことは言えばいい」と
アドヴァイスしたら、いったいどう受け取ったのか、
それ以来会う回数が劇的に増えた様子。

そのうち四人で食事を共にし、ヴァレンタインデイには
カレシの車でダブルデートをした。

彼は四十二才で、主に不動産関連のインスタレーション
(物件案内のグラフィックデザイン等?)の
仕事をしているらしく、例のごとく(二人に話すままに)
年齢及び仕事を偽るオレが、ちょっと調子を合わせて
「いつかはタイでカフェをやってみたい」と漏らすと、
具体的な話をいくつも出して盛り上げてくれて、ついには
チェンカーンという自らの生まれ故郷の、
ラオスとの国境の町で店を出すといいと勧め始め、
「今度是非一緒に行こう!」とアツく迫られる。

まあ、基本いい人だとは思うが、
記念撮影をしたデヂタルカメラを見せてもらったら、
Mトの姿と共に家族の写真もたくさん収まっていて、
「これってどーなのよ(まさか家族公認?)」と、やや
行動を疑うような部分もあり、A嬢に言わせると
「正直、私は薦めない」とのことでもあった。

しかし、その愛人がスポンサーとなり、某
「BIGーC」のプロムナード内において、四月から
「洋服と雑貨の店を始める」と、本人はハリキっていた。
「55バーを辞められる」と、当初大喜びだったが、結局
「掛け持ちしないと厳しい」という話になり、少し
残念な様子だったな。

彼女の意向なのか頻度は増し続けて、ほぼ
毎日のように会っていると聞き、心配して
「あまり会い過ぎるのも良くない」と自制を促したが、
恋する乙女が聞く耳を持つはずもない。

ずっと一緒に暮らしていた息子を、
「忙しくなるから」と、実家に預ける為に十日ほど
ブリラムに帰っていた彼女が、
パタヤに戻って来た矢先の出来事だった。


七才年下のA嬢だが、姉貴分というよりは
対等な友達として付き合っている印象であり、
(気を使ってフェーン*恋人と呼んでいるが)
ギックとの仲を心配したり、会っている間は
子供を預かったりと、奔放なタイプの
Mトよりも、むしろA嬢の方が
おねーさんっぽかったな。

ただ、オレとの関係については
「Mトがそう言うから」と、彼女が
ことあるごとに漏らしていたように、どうやら
「遠慮せずホンダに甘えればいい」的な
アドヴァイスを常に受けていたようだ。

いずれにせよ、
プライヴェートではいつも一緒だった
Mトが居なくなってしまった今、
Aはいったい何を思うのだろう。

カレシからは、昨日電話で
「ブリラムで葬儀があるから一緒に行こう」
と誘われたが、正直、どーしようか悩んでいる。
参加したいのは山々だけど、実際、
かなり遠いのも事実だからねえ。


遺品の財布には、カレシの写真と
息子の写真が入っていて、現金は
二十バーツ紙幣数枚だった。

それを見て、何故だか
無性に

悲しくなってしまった。

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