« 「リップグロス」が本当に必要ならばそれに見合うメイクをするがよい | トップページ | ある日ドアを開け外に出たら靴がない時の気持ちとは »

2014年2月24日 (月)

「嘘だろ」とビビったり呆れたりするけど、実は大した話でもないのか

「Welcome American Navy!」


思わず目を疑ってしまったが、その
「横断幕」は決して幻ではなかった。

「嘘だろ」とツッコみたくなるのは、
「従軍慰安婦」問題で某国と揉めている
ニッポン人特有の感覚なのだろうか。
だって、そんな風に入り口で客を迎える
かなり立派な建物にはピンクのネオンで
「Body Massage」と書かれていて、もちろん
そこは不真面目なマッサージ店、いわゆる
「ソープランド」なのだから。

確かに、最近パタヤにおいて
米軍とタイ軍の合同演習が行われていた事実は
ニュースで知っていたけれど、この街がいくら
「下世話」な世界有数の歓楽街であるとしても、
あそこまで堂々と宣伝というか勧誘をするのは
「如何なものか」と、どーしても思ってしまう。

ニッポン人の感覚からすると
「そーいうのはお忍びで......」となりがちだが、
考えてみればそもそも
「55バー」だって、その昔在タイ米軍に対する
「サーヴィス」として始まった商売なわけで、
「米軍様が来る」となれば性風俗業界を挙げて
「大歓迎」するのが当たり前の姿だとも言える。

実際、いつもサッカーを観戦する
「バービア」にて、向かい側にあるその某
「〇〇〇〇〇〇〇」というマッサージパーラーに
掲げられた派手な文字の横断幕に気付いて
「ビビっ」たのは、五、六人居る西洋人客の中に
混じっていたオレだけだったに違いない。

ただ、アレが実際ニッポンの、例えば
沖縄米軍基地付近のソープランドの玄関に
「バーン」と張り出してあったらおそらく
大問題になるのだろうし、そーいう意味では是非
「慰安婦問題」関係者各位に見ていただき、
タイ王国のおおらかさを知ってもらいたい、とも
思ったのであった。


そして今日。またしても
「嘘だろ」と思わず声を荒げてしまったのは、やはり
ほぼ毎日のようにコーヒーを飲みに通う某
「×××××××」にて、いつものように
暇つぶしに本を読んでいる時のことだった。

映画観賞と共に読書も昔からの趣味であり
読むのはほとんど小説なのだが、
「文庫本」という持ち運びに便利な誠に優れた
プロダクトを好むオレとしては、タイでも手に入る
古本をたまに仕入れては、夕陽の沈む頃に
カフェで読んだりするのも楽しみのひとつ。

ただ、特定の作家の小説を読み尽くしてしまった今、
少ない知識の中で自分好みの本をチョイスするのに
結構苦労するわけであり、例えば
「ジャケ買い」してみたところで
「ハズす」ことだってさほど稀ではない。

筒井康隆大先生に代表されるような
「SF」や「エンターテインメント」が好きな反面
舞台が現代の話であるならばどーしても
「リアリティー」を求めてしまう傾向がある中、
「んなわけないやん」と興冷めしてしまうのは
映画でもやはり同じであるが、例えば
「邦画」をほとんど見ないのはそんな理由からであり、
小説でもやはりいかにも嘘っぽい話は苦手だし、
「陳腐」な表現が連続したりするともうダメだ
(自分のことは完全に棚に上げてであるし、だからこそ
己の文章になかなか自信が持てないのでもある)。

で、今回も第一章2まで読んだ時点ですでに
(アカン。これはどーもアカンぞ)と感じたので
「一体何故こんな本を買ったのか」と、
表紙の裏の作家プロフィールを見てみたら
「'96年直木賞受賞」と書いてある。そして、
「凍える牙」というその小説はまさにその
直木賞受賞作なのであった。

「は?これが直木賞??嘘だろ」

作家乃南アサ氏の名誉の為に言っておくが、
あくまでもこれはオレ個人の感想であって、おそらく
「好みではない」というだけの話であろうし、きっと
読み進めればそのストーリイ展開、プロットなどに
「おお。なるほど」と納得できるはずなのだけれど
いかんせん表現に違和感を持たざるを得ず、あとは
「句読点」の位置や改行がいただけなさ過ぎる。

こうして文章を書いていていつも意識するのは当然
「いかに読み易くするか」であり、特に
「、」の位置にはヒジョーに気を遣うオレ。
本を読んでいてしばしば感じるのは
「、」が多過ぎるケースであって、最近は特に
「流れをスムーズにする」ためにいかに
「、」を少なくするか、を強く意識するので
「、」が必要のないところで打たれているとつい
「イラッ」としてしまうのである。

ま、十数年前の作品に今文句をつけるのは実際
どうかとも思うが、こーいう時はだいたいにおいて
「けっ。オレの(書く文章の)方が断然オモロイわ!」
などと感じて一気に創作意欲があがる。そして、
書いているうちに、いや、読み返すうちに段々
その気持ちも萎える、というパターンなのだ。

ただ、80THBも(?)出して購入した分厚い本であるし、
運悪く今現在これが最後のストックなので、おそらく
最後まで読むのだろうな。そして結局
「何やねん!この本」と文句を言うに違いない。
そーいうことは前にも何度かあったから分かる。


その瞬間は
「いかにもスゴイ話」とビビったり呆れたりするのに、
こーして書いてみると案外
「大したことない話」のような気もしてくるのは
文章力のつたなさ故なのか。

いや、ひょっとしてその
「逆」なのでは。などと、
「ポジティヴ」なオレは

思ったりするのだけれど。

|

« 「リップグロス」が本当に必要ならばそれに見合うメイクをするがよい | トップページ | ある日ドアを開け外に出たら靴がない時の気持ちとは »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事