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2014年11月26日 (水)

実はこの度皆様にご報告することがあるのです

まあ、いつかはバレるだろうし、もちろんちゃんと
「報告」せねばはならないと思ってはいた。

ただ、タイミングを見計らっていたのだ。

と言っても、別に結婚したとか
隠し子が見つかったなどという大事ではなくたかが
「ウェブサイト」を立ち上げただけのこと。
それもプロに頼んだワケでもなく
(アドヴァイザーはいる)、手作りのショボいもの。

しかし、いずれ多少の収入になれば、という具体的
「目的」も一応あるから、もちろん
きちんと運営していかねばならぬし、
根が真面目なオレとしては
やるからにはちゃんとやる。

「PRIパタヤ総合研究所」というタイトルで、
パタヤに関する情報を発信していくサイトだ。

Pattaya Research Instituteの略であり、
パタヤに住んでいることを活かし、
ニッポン人の旅行者及び在住の方々に
少しでもお役に立てれば、という趣旨。

とりあえず、考えていることはそれくらいで
「どーやって収入にするのか」などの
「具体的展望」は今のところほぼない。

ま、やっているうちになんとなく掴めてくれば
それで良い、と気楽に考えている。
何もしないより少しはマシなんぢゃないか、と。

で、当然ブログもあるので、今後は
どーしてもそちらが主となっていく。もちろん、
オフィシャルというか広く一般に公開するので、
今までのように赤裸々な内容は書けないし、
「日記」といった感じではないのでやはり
「ストレス発散」目的の文章を載せる為に
「アメ・タイ!」も残すことになる。

が、しばらくの間は投稿数が減るのは事実。

でも、おそらくやっているうちに
「ストレス」が溜まって来て、いつかまた
こっちがメインになる気もするんだよね~。

何しろこのブログはもう長くやっているし、
投稿した文章文字数はかなりのモノだから。

「好きこそものの上手なれ」
という言葉を信じて文章を書くこと自体は
これからもずっと続けていく所存であるし、実際、
漢字ひらがなカタカナ句読点改行余白など全てを
駆使して文字を書くことだって、いわゆる
「デザイン」や「アート」の世界と何ら変わらず、
「言葉のアーティスト」だと自分では思っている。

「ニッポン語」ってとてつもなく優れた言語だし、
紡ぎ方によってそれはとても美しく輝くのだから。

もちろん一番のファンは自分の日記が世界一
「オモロい!」と思っているオレ自身であり、
それはやはり過去の行動を振り返られることも含め
自分に興味津々だからである意味当たり前なのだが、
今後はそーいった興味とは少し方向をズラし、
「テーマ」や「文章」自体で人々に
「感動」を与えられるようになれば、と思っている。

そして、これまでずっとお付き合い下さった
読者の方々にも感謝せねばなるまい。
「くだらないなあ」と思いつつも、きっと
「笑って許して」くれたその度量には敬服だ。

この場を借りて心より御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。


というわけで、これからも

どうぞ宜しくお願いいたします。

筆者

*このページの左下の方にある
「リンク集」からサイトに飛べます。

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2014年11月19日 (水)

なんとも興味深い夢を見たので念の為記録しておく

なかなか興味深い夢を見た。

なんと警官になって犯人を逮捕するのだ。

若い女子の新人と二人一組になり、
朝一番に早速逮捕した。
所属は愛知県警であり、
午前中のうちに続々と犯人が連行されて
みるみるうちに三百人以上となる。

そんな光景を見て
「私も一応、世の中を良くするという志の元
この仕事に就きましたがこれほどヒドいとは」と、
刑事部長に嘆くオレ。
「犯罪というものは朝に多いのだ」
意味不明な部長の答。

ただ犯人は皆どう見てもフツーの人ばかりで、
暴れる輩もなくおとなしく運動場で運動する。
何故か、お笑い芸人の有吉君も捕まっていて
仲間内でウケまくっていたりとか。

こんなものなのかなあ、と不審に思う中、
いつの間にか相棒が連行してきた犯人が
いかにもオカマっぽい背の高いオンナで、
すでに捕まっているイケメンのカレシを
追いかけてわざと逮捕された模様。

「本当にいいのか?しばらく帰れません、と
今から母親に電話しなさい」と部長が説明するが、
オカマちゃんは一向に応じない。
突然警視総監が通りかかり刑事部長は最敬礼。
しどろもどろになっている姿を見て、相棒は
「やっぱり権力に憧れるのかしら」と納得顔。

この辺りからなんとな~く
「お笑い」の雰囲気を帯びてきて
「現実ではないな」と気付き始めるが、何故か
シルバーの愛車マーチで犯人逮捕に出向いたり、
警視総監の部屋が県警内にあったりと、内容は
「メチャメチャ」であり、シラを切り続ける
オカマちゃんを問いつめていた所で目が覚めた。

夢は何かを暗示すると言うが、
いったいこれはどーいうことなのか。

思い当たるフシなどまったくないし、
謎なのだけれど、とにかく

オモロイ夢だったことは間違いない。

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2014年11月18日 (火)

憧れのワークパーミットより待望のリタイアメントヴィザ

「え?三時??」


思わずそう聞き返したのは意外だったからで、
今までに一度もそんなことはなかったのである。

相手はイミグレの係官であり、
「エクステンション」、つまり
ヴィザの延長申請の際の出来事。過去には
「観光ヴィザ」「EDヴィザ」いずれの場合も、
例えいくら時間がかかろうと手続きしたその時に
パスポートを受け取ることができたのだが今回は
「(四時間後に)再度受け取りに来るように」
という指示だった。

ま、パタヤに来てからはずっと
「観光ヴィザ」で凌いでいていわゆる
「ノンイミグラント」のヴィザは初めて取ったので、
チョンブリ県のイミグレーションのルールでは
「二段階渡し」がフツーなのかもしれず、ただ
オレがそれを知らなかっただけなのかも。

もしくは、軍事政権で厳しくなったとか。

いずれにせよ、
受付番号の紙をもらってから四番目だったし、
午後三時に再び訪れた時もさほど並んではいなくて
「アッ」という間にパスポートをもらえたワケで、
バンコクに住んでいた頃に比べたら
「メチャメチャ」ラクになったのは間違いない。
当時は百人待ちなんてザラだったし、しかも
家から遠いイミグレオフィスまでの往復も含めほぼ
一日仕事だったからねえ。

実際に学校に行って授業風景等の写真を撮ったり、
住んでいる部屋の証拠写真や契約書のコピイなど
用意するモノもいくつかはあったけれど、
三ヶ月延長の為と思えば容易いこと。
毎度毎度徴収される千九百バーツを
「やや高い」とは感じるものの、引き続き
タイに居られるのであればまあ
「仕方ない」と思えるのもいつもと同様であった。

来年からはいよいよ待望の
「リタイアメントヴィザ」がもらえる予定。
この国に骨を埋めるにあたっての
大きな一歩を踏み出すことになるのは、きっと
「感無量」なのだろうな、と今から想像がつく。

「何も起きなければ」という前提なのだけどね。


さて、そんな中
海外旅行のお誘いが二件。

昨晩深センのTちゃんから電話があって
「来年二月末の旧正月休みにペナン島へ」という話と、
「今月末にミヤンマーツアー実施」とTカちゃんから。
いずれも魅力的だが、特に
ミヤンマーは最近大注目の国であり
「近いうちに是非行ってみたい」と前から思っていた。
「カワイコちゃん満載」との評判も理由だが、やはり
近隣諸国にはとりあえず行ってみないと
何も始まらないからねえ。

入国の為のヴィザ申請と
「リエントリイパーミット」が必要だが、
多少の手間は致し方あるまい。

家具工場での検査及び出荷作業の同行の予定はあるけれど、
日程調整さえ上手くいけば充分可能だし、
今回を逃すとしばらく行けそうにない気がするから
何とか行きたいんだけどなあ。

ペナン島は一度行ったけれどとてもいい所だし、某
「エアエイジア」のチケットも安いので問題はない。
ただ、その頃にはひょっとすると
仕事が本格的に始まっている可能性も
なくはないのである。

現状では何も決まっていないが、
具体的に動き出しそうな案件があって、
どーすればいいか、かなり悩んでいる。

一番の問題は
「収入は少しでいいから働く時間も少なく」なんて
甘い考えはどうやら通用しなさそう、ってこと。
「週に三日働けばオッケー」ならばいいけれど、
「月金九時五時でほぼ毎日残業」はとてもムリ。
もちろん、その先には憧れの
「ワークパーミット」の存在だってあるにせよ、
今更ながらマトモに働くことへの抵抗が、内心
相当激しくなってきている。

「やめろ!やめろ!」と、悪魔が
毎日うるさくてしょーがない。

憧れのワークパーミットより
待望のリタイアメントヴィザ。

そんな彼の囁きだって、
怠け者のオレにとっては至極

もっともな話なのである。

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2014年11月10日 (月)

「蛍の光」に感化されたホロ苦い想い出

季節柄なのだろうか、最近よく
「蛍の光」のタイヴァージョンを耳にする。

歌うのは子供の合唱隊であったりオトナだったり様々で、
ニッポン版とは少し違うけれどもあの
哀愁漂うメロディーラインに幾許かの
切なさを感じるのは我々独特の心情か。

先週の満月の木曜日には、タイ全土で
「ローイクラトーン」と呼ばれる灯籠流し祭りが行われ
「一年の厄を水に流す」儀式で厳かな雰囲気に包まれた。
もっとも、その手のイヴェントにほぼ興味のないオレは
テレビの画面でその事実を知っただけであり、
「後片付けが大変だこと」と情緒のない感想しかないが。
しかし、そんな雰囲気になんとな~く引っぱられて
「センチメンタル」になるのもいつものこと。
ニッポンに居た頃、やはり秋になると毎年なんだか
「ふわふわ」していたものだし、タイに来てからも
変わらない件を喜ぶべきなのか。


知り合ったばかりのPン嬢に
「明日も来る?」と聞かれ、
「分からないよ」と答えたものの、ついつい
訪ねてしまうオレ。しかし、
F1ブラジルGPの放送終了後で深夜一時近くになり
彼女は既に客に連れ帰られた後だった。

予想していたし、どの道翌日、つまり
今日は仕事で朝早かった為長くは居られないから
わざわざ行くまでもなかったのだけれど。
そんな風にこのまま情が移っていくのを
「良し」とする気持ちとそーでない気持ちが現状
半々くらいであろうか。

「どうせ続きっこない」ことは分かり切っている。
何故なら、彼女にはいくつもの条件が欠けるから。

そして同時に、自分に欠ける根本的感情も周知だ。


今思えば、よくあんなにも長く続いたものである。
しかし、終わらせたのはこちらの一方的事情だし、
どー考えてみてもオレの判断ミスだった。

何故あんなキレイゴトを口走ったのか。
何故悪魔になりきれなかったのか。
中途半端な善人を気取るオレのいつもの
悪いクセである。

というワケで、哀愁の季節に相応しい
「ホロ苦い想い出」を振り返ってみよう。


M嬢と知り合ったキッカケはクラブのイヴェントだった。

某「club 〇〇〇」で若い衆と一緒に始めた
「××××!」というタイトルのその
「テクノ系」パーティーはそもそもT君という
「天才DJ」(とオレは本気で思う)を世に出すことが
「目的」であり、隔月の第三木曜日の開催と共に
「裏××××!」というものも某
「△△△△△△」の定休日月曜日(ランダム)に
平行して行っていて、結局、二年近く続いただろうか。

当時二十一才のM嬢は
弾けるような若さと肉体を持つ元気なコで、
四十才を目前に、廻りのありとあらゆる
「若いエキス」を吸い尽くそうとしていた
「白雪姫」に出てくる魔女のごときオレに
「ターゲット」にされたにもかかわらず、
持ち前の包容力で柔軟に対応してくれた。

しかし、立場上の問題もあったし、
それよりも何よりも
「AB」という血液型の由来故なのか
「落ち込むと果てしない」という彼女の性格を
危惧して関係を深め切れなかったというのが本音。

ただ、オレ達は確実に癒し合っていた。
「ウマいもの」を食べ、
「好きな音」で踊って、
「寝る」ことによって。

よく食べよく踊りよく笑った。
いくつかの欲求の趣味が不思議なほど
「ピタリ」と合ったのである。

もちろん、あらゆる事象によって
「堕ちていく」彼女を引っぱり上げる役目も
時にはしたけれど、それだけが
「存在価値」では決してなかったはず。

こちらのフィニッシュと彼女の二度目を
「ピタリ」と合わせることもカンタンだったし、
クラブミュージックと共に愛して止まぬ
「美味しいモノ」を無性に食べたくなると
彼女から連絡があるそのタイミングも正に
「絶妙」だったのだ。

実はお互い心のどこかで恋人、つまり本当の意味での
「ステディー」を探していたけれど、反面
あの二年間は間違いなくある種の
「ステディー」であったという自負もある。

しかし、残念ながらその関係にも終わりがやって来る。
オレの方に好きなコができたのであった。

M嬢とは複雑な気持ちで会いつつも
そのコへの想いは募るばかり。
かくしてそれは恋へと発展し、結局
お付き合いすることとなる。

くしくもその相手Kリの血液型は
「AB」であり、その後結構深い
「うつ病」と闘うことになるのは皮肉なことだったが、
それはまた別の話。

さて、そこでオレは完全なるミスを犯す。

もうお分かりだろうか。
そう。
その件を素直にM嬢に打ち明けた上で
「お前とはこれ以上会えない」と、
彼女を突き放したのである。

いやいやいやいやいやいや。
今のオレだったらそんなことなどするはずがないのに。

それはそれ。
これはこれ。
に決まっているではないか!

ただ、当時のオレはうっかり純情だった。
今となっては悔やんでも悔やみきれぬが。

後になってどれだけ
M嬢のことを恋しく想ったか。

「こんなことならばMをカノジョにしておけば良かった」

そう考えることもあったが、但し、
それはちょっと違うと思う。あの
「関係」こそがオレ達にとって全てだったのだ。

そーだ、そーだ。
そーに決まった。


今想い出しても
心と体の一部が苦しくなる、

切なくもホロ苦い日々であった。

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2014年11月 8日 (土)

「Gカップ症候群」と「偶像崇拝」について考えてみる

「Mチンとヤりたいなあ......」


かなり久し振りに部屋でAVを観ていたら、
「成長して最近FカップからGカップになって
ますます」云々とまあまあ可愛らしい女子が
画面で自慢気に話すので、ついつい広がる妄想の中
「Eカップ」の美しい胸を持つM嬢のことを
無性に懐かしく思い出したのであった。

二年以上もの間、完全な
「セフレ」状態だった彼女についてはまた
「ホロ苦い想い出シリイズ」で詳しく書くとして、
「A」から「H」まで様々なカップの女子と寝てきたが
「G」だけは何故か一度も経験がないという
「Gカップ症候群」のオレの場合女のコと寝るにあたって
「胸」はとても重要なファクターの一つでもあり、
タイに移住してからは、性的なサーヴィスの内容つまり
「ホスピタリティー」不足と合わせてヒジョーに
不満に感じる日々がずっとずっと続いているのだ。

これはあくまでも日記なのだから、
直近に起こった出来事を元にその辺りの件を
検証していきたいと思う。それでなくとも最近は
メッキリサボりがちだしねえ。


基本的には自分でもかなり
「運」がいい方だとは思う。

生まれ育った環境、時代、何度か
死にかけたにも関わらずこーして
未だ無事生き続けていること自体。

受験戦争もなくなんとなく通った
ファッション専門学校も中退して
学歴とはほぼ関係ない業界でずっと過ごし、
苦労といった苦労も知らぬまま時代はいつしか
「バブル」の真っ只中。二十代後半で見事に
「弾ける」まで若いなりに相当いい思いもしたのは、
「不動産、建築」という業界にいたせいもあるにせよ
父親から言われるままにその道に入った件も含め
「運」に左右され翻弄されたのは言うまでもない。

先代の死後間もなく会社は廃業に追い込まれ
「破産」も経験した。
「贅沢」はある程度知ったけれど、逆に
「お金では買えないモノ」の価値だって
その後の何年かで少しは分かるようになったワケで。
かれこれ二十年以上景気が悪いままの中、
それでも充分過ぎるくらい楽しく暮らしてきたし、
今でも続いている。いつ死んだって
「メチャメチャ楽しい人生だった」と
胸を張って言える自信もある。

もちろんそれらはあくまでも個人的な感じ方であり、
「超ポジティヴシンカー」を自称し実践するオレの
「自分に都合良く考える」脳の働きを借りたとして、
それが本心ならば何ら問題はあるまい。

さて前置きが長くなったが、タイに移住してからも
「オレってやっぱり運がいいなあ」と感じる瞬間が
結構多くて一件一件書いていったらキリがないほど。

例えば、昨日の夜であればこーいうこと。って話ね。

しばらく遊んでいなかったので、
「今日こそは!」と気合いを入れて出掛ける。
たまたまパタヤに遊びに来ていた
「B.VISA」の切り替えの際の担当者のミスで何十日もの
「オーヴァーステイ」扱いとなり罰金を払わされて
「タイ人のいい加減さがもういい加減イヤになりました」
というSンちゃんを慰めつつ、まだ時間が早かったので
「たまには」とバービア巡りをするオレ達。

サードロード沿いの某店から始まり、
セカンドロードの〇〇〇〇近く、某
「△△△△」、ソイ3からビーチロードを戻って
□□□□□と巡り歩いた最後の最後で、一人見付けた
「まあまあかな」と思える二十代前半のコと少し話し、
その隣りの隣りの店でついに
「おっ!」と驚いてしまう程のカワイコちゃんを発見。
当然のごとく既にアジア系らしき客が付いているが、
彼女を気にするオレ達に後ろのバーカウンターを指差し
「座れ座れ」とアピイルしてくる。

「あのコこの間も見掛けました」とSンちゃんは言う。
バービアに若くて可愛いコなんてほとんどいないから
やはり目立つのである。

時間はまだ午後十時。
「せっかくだからちょっと飲んでいく?」と
カウンターでビアリオを飲んでいると、ほどなくして
客から解放されたそのコがやって来た。
ペイバー料金はたかが300THBなのに、
彼が連れ出さなかった次点ですでに運が良い。しかも
近くで見てもなかなかの容姿であり、少し話したところ
明るくて性格も良さそうだ。

「友達にイヤなことがあって今日は飲み歩いてるんだ」
と説明すると、
「実は私もママといろいろあって......。
あなた達が帰ったら私も部屋に戻るつもりなの」とのこと。
「それならば」と彼女をペイバー。
Sンちゃんはそこまでタイプではないらしく、
「今夜の相手」が早くも決まった。

見た目はちょっとオトナっぽいが、パタヤに来て三ヶ月、
十八才でブリラム出身のPン嬢には二才の子供が。つまり
十六才で産んだってこと?早過ぎない??
ここ一、二年の間オレが選ぶコの中で断トツに多い
「ブリラム嬢」という所で容姿の傾向は判断して欲しい。
彼女を連れたまま某ウォーキングストリートの
「55」を廻る。某
「〇〇」「△△House」「××」「□□」。
知り合いが多い最後の店で
「彼女〇〇〇のバービアで月給四千バーツだって」と話すと
「アンタ可愛いわね。ウチで働きなさいよ!」と
おねーさま達によってたかってスカウトされる。
やたらと罰金も多いけれど、確かに
「十日で一万バーツ」のギャラは魅力である。
「踊るのが恥ずかしい」とPン嬢は言うが、しかし、
「ホステス」(ダンスではなく呼び込みなどを担当)
から始まって最終的にはダンサーになるケースが多いのだ。

「きっと彼女もそのうち客の前での
<エロエロダンス>が平気になるのだろうな」
と思うと、何だか感慨深い。そうやってどんどん
「スレて」いく水商売嬢達を何人も見ているから。

ただ、今日に関してはオレが彼女を自由にできる。

そう考えると、数千バーツの出費など
安いものではないか。

各店でビールを結構飲んでいたが、景気付けに
歩道のバーで50THBテキーラを二人で飲み、某
「〇〇〇〇」に繰り出す。ただ、Pン嬢はお酒が
あまり強くなかったようで、結局一時間後には
「ゲロゲロ」状態になってしまった。
可哀想だがそれも試練だ。某
「〇〇〇〇」のトイレを出てもしばらくは
「ヘロヘロ」でずっと背中をさすっていた。

バイタクで彼女の部屋まで戻りやっと落ち着く。
よほど申し訳ないと思ったのか
「ソーリー、ソーリー」と何故か英語で謝るのが
「可愛いなあ」と思わせるのだった。


ところで、光熱費合わせて月々八千バーツの
彼女の部屋のベッドにはありがちなやたらとデカい
キティーの縫いぐるみとドラえもんの掛け布団が。

「(この二大キャラの)共存もあるのだなあ」と
なんだか不思議な気持ちになり、その件を某
「Facebook」にアップすると、ニッポン女子から
「なんでタイガールはキティーか
ドラえもんが好きなの?」という質問が。

「意外に難しい質問だな」という前置きの後、
オレはこんな風に答えた。

「偶像崇拝」の一種ぢゃないかと思われる。つまり、
仏教を信仰するにあたり分かり易い象徴としての
「疑似存在」的扱いということ。実際、ドラえもんは
「安産」の守り神としてタイでは有名だしね。
(特にデカい)縫いぐるみを側に置きたがるのは
心の闇に対し何らかの救いを求めているからで、
分かり易い代表として
「キティー」と「ドラえもん」が人気。次点で
「リロ&スティッチ」のスティッチ?か。では、単純に
「何故キティーとドラえもんか?」という話になれば、
それはもう当然
「コピイしやすい」からに決まっている。

すると、
「ドラえもんが安産?!何で!?興味深い話だわ」
と再質問を受ける。

お腹のポケットからいろんなもの
出すからぢゃないかな。多分。
「お腹から(子供が)無事出ますように!」ってね。
と、答えておいたけど、
もちろん根拠などない。

というわけで、まだまだ初心な十八才女子と
朝には一戦交えそのまま夕方まで一緒にいた。
帰り際も特にお金を請求されるわけでもなく、
個人的相場の千バーツを置いて帰って来たのだった。

バービアでのビール代とペイバー費用
「55」での飲み代と某
「〇〇〇〇」の飲み代全部で二千五百バーツ弱。
そんな出費で済んだのも、当然のことながら相手が
「バービア嬢」だったからに違いない。
「55嬢」と同じことをしたらおそらく
二倍以上掛かるのではなかろうか。

そんなケースがたまにあるので、どーしても
「オレって運がいいな」と、つい思ってしまう。
しかも、
「今日こそは!」と気合いを入れた日だったからこそ
余計に嬉しい。だって、フツーはそーいう時に限って
「空回り」するのがオチだからね。


で、表題に戻ると、そんな風に
「一緒に過ごした時間」はとても楽しかったけれど、
残念ながら、やはり
「性的サーヴィス」については今ひとつだった。
そして、Mチンとのセックスをとてもとても
「懐かしく」想った、というワケである。

ま、十八才のシングルマザー(Bカップ)に
多くを求めるのが所詮間違いだとしても、やはり
強く感じるのはニッポン女子の
「(性的)ホスピタリティー」の高さへの憧れ。
確かに、あどけない寝顔のPン嬢と
体の一部が触れつつ添い寝しているだけである程度の
「幸せ」は感じられるものの、当然
「Eカップのセフレとの至福の時」とそれはまったくの
「別物」だ。

M嬢は今頃どこで
何をしているのだろう。

あの時はオレが完全に間違っていた。

今更後悔しても遅過ぎるのだけれど。

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2014年11月 5日 (水)

自分にできることとできないこと

「<次のプログラム>って何やねん!!」


あ〜もーホントに腹立つ!

超スーパーアナログ人間のオレにとって
最も苦手なのが機械的操作であり、特に
パソコンの扱いに関してはサッパリ分からない。

しばらく前から映像が見られなくなり、どうやら某
「Adobe Flash Player」なるソフトを新たに
インストールし直さねばならぬようなのだが、
「手順:2/3」の段階で止まってしまい
「次のプログラムを終了してから続行して下さい」の
「次」への進み方がどーにも分からず、どこを押しても
「再試行」を何度繰り返してもまったくラチがあかない。
「Adobe」に文句を言いたくても連絡先を知らないし、例え
電話したところで機械の声に翻弄されて余計に
「イラ」つくだけに決まっている。

ていうか、何だ?フツーの人間はこの状況を難なく
「クリア」していくのか?こんなところで
戸惑うのはオレだけなのか??
パソコン自体の調子が悪いことも考えられるが、
それすらも分からない場合いったいどーすれば良いのだ。

こんな時、便利なモノなど何もない
原始時代に戻ってしまえばいいのに、と思う。まあ、
そこまで極端でなくとも、例えば
昭和初期くらいの平和な時代の方が、
オレのような輩にとってはよほど
楽しかったのではないか、と。
何もかも便利になれば良いということでは決してない。
道具に頼らず自分の力で成し遂げるのも
「時には必要なのだ」と、心のどこかで思っている。


さて、しばらく続いた怒濤の日々も、一昨日の早朝
O氏を空港に送り届けた時点で無事終了。
その後某工場にサンプルを取りに行って
バンコクでの用事も終わり、パタヤに帰って早速
サウナにて英気を養ったのであった。

家具職人のM氏が来タイしており、今日からまた
バンセンの工場に通うこととなるのだが、実は正直
「果たしてどーなのだろう」という疑問も心の中で
沸々としてきた。

今回、ニッポンから視察に来た家具の専門家三名と
行動を共にしてきたわけだが、所詮
ド素人のオレなどが今更多少勉強したところで
どこまで役に立てるかは疑問であり、あくまで
「ブローカー」の枠を抜けられはしまい。その
「ブローカー」を現役で続けるS氏の姿を追うにつれ、
「こんなこととてもできない」という思いは
日に日に募るばかりなのだ。

「自分にできることは何だろう」
「楽しく仕事をする為には」と考えれば考える程
「家具関連」のこと、つまりは
「ものづくり」が自分に向いているかどうかが
分からなくなってくる。
「安くていいモノ」と信じられれば、それを
「売りこむ」ことならできると思えるけれど、
詳細にこだわってモノを作ったり管理したりする作業の
イメージがどーにもしっくりとこない。
もちろん最初は知らない分野だけに興味もあったにせよ、
これ以上深く関わっていくことにいささか抵抗を感じる
現状なのであった。

「お金の為(だけ)に働く」よりは
「興味があることを収入にしたい」タイプのオレの場合、
できるだけ楽しく仕事ができれば、という部分に
どーしてもこだわりたい。

「それならば他に何があるのか」と問われれば、
経験と興味の観点からすれば不動産業であろう。そこで
「不動産」と「家具」を絡めて何かできないか、という
「複合技」について今考え中だ。

今回、O氏から
「マットレスの調査費用」として
「経費+アルファ」の相当額をいただいたけど、それも
「アッ」という間に使い果たした。
ちゃんとした収入を得るにはまだまだ時間が掛かる。
しばらくの間は先行投資に耐えるしかないのである。

できることからコツコツと。か。

正直、基本怠け者のオレには
向いてないと思うんだよなあ。

その言葉。

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