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2016年11月30日 (水)

日記というモノが人生に及ぼしてきた影響は小さくないのかもしれない

その昔はアナログな日記を書いていた。

いわゆる日記帳的なモノに完全自筆で
毎日のように出来事を綴っていたのである。
あまり日にちが開くとおっくうになるから、と
せっせと書き続けてはたまに読み返すのが楽しかったものだ。

内容はヒジョーにくだらない。

主に女子とデートした時の内容だったり心情だったり。
若い頃は仕事以外に考えていたのは女のコのことばかりだったし、
容姿に自信のないオレはせめてファッションで、いやそれよりも
口先三寸で勝負するしかないと勝手に思っていたから口説き方の
テクニックを磨く必要があったし、相手の反応のパターンその他
研究内容やら成果やらを何かに残しておこうと考えたのだろうか。

バブル時代などはデートの相手に困らなかったし、
二十歳の頃に一人の女子に思い切り裏切られてからは結構長い間
女のコに対して強い復讐心を持ち続けていたので、そんな風に
チャラチャラと遊ぶことで少しは救われる気分だったのかもしれない。

と言ってもモテたワケではないので、
可愛いコと寝るまでは随分苦労した。だからこそ
日記を読み返すのが楽しかったのではなかろうか。

その間に結婚して離婚も経験したけれど、
女のコに対する考え方はあまり変わらなかったし今でもそうだ。
自分に都合の良い時だけの何らかの欲の捌け口でしかない。

真剣にお付き合いした相手などほとんどいなくて、
仮にそうなったとしても
「デリカシイがない」と散々責められて最終的には
「一人でいる方が楽しいんでしょ!」と捨てられる。

ごくたまに努力してみようと一応試みるのだけれど、
結局は無駄骨に終わってしまうというワケだ。

いったい何が楽しかったのだろう。

「この人になら抱かれてもいい」だとか
「まあしょーがないから寝てやるか」などと
相手に思わせるまでのプロセスかもしれない。
そこに辿り着くまでに苦労すればするほどに
味わう達成感は格別なものがあった。んな

そこまでセックスが好きではなくむしろ淡白な方だ。
だから一度きりで終わるパターンがほとんどだった。

と、ここまで書いてみてあらためて自分でも
「なんとヒドいヤツだ!」と思う。
どれだけ薄っぺらい人生を送ってきたのかと。

ただ、今更そんなことを嘆いてみたところで
どーしようもない件も知っている。
精神的にはガキのままでも
実際は充分なオトナなのだ。


SNSの存在を知った時には飛びついたし、
見事なまで完全にハマった。

電子日記!何と素晴らしい。

本来秘密であるはずの日記を他人に読まれる、
読ませるというある意味非倫理的状況は
「覗き」と似ているのではなかろうか。
覗く方も覗かれる方もその内容が
エグければエグいほど快感なのだ。

自虐という手法が、オレにはピッタリだった。
自分がダメ人間であるが故その部分を曝け出すことによってまるで
禊のような気持ちになる。

面白おかしく滑稽に表現すれば少しは許されるのでは?
しばらくはそんな大いなる勘違いの世界で生きることとなった。

考えてみれば、恐ろしいほど莫大な数の文字の羅列である。

最初mixiでスタート。2005年9月のことだ。その後
このブログを平行して初めて実に10年間続いている。
記事数943件。スゴいな。

その時既に四十才だったにもかかわらず、
やっていることは昔とほとんど変わっていない気がする。

いろんな女のコ達ととにかく会話して、
できっこないことは分かっていても恋に恋して撃沈。

しかし、こーやって振り返ってみれば
けっこう楽しい時代もあったのである。

飲食店をやっていた時は本当に色んな人達と出会えたし、
オモロイ出来事がたくさんあった。
そー言えば今もやっているのだが、当時とは全然違うぞ。

ま、それはいいとして、
その時その時で目的は違えど長らく書き続けた日記。

何が起ころうときっとこれだけは続くんだろうなあ。

完全にボケた末に、日記という

存在を忘れてしまわない限りは。

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