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2017年4月28日 (金)

これだけさらけ出してして今更何が恥ずかしいものか

昔、と言ってもたかだか十数年前のことだが、
その頃の知人から突然連絡があったりするとちょっとビビる。


飲食店をやっていた当時は、店の宣伝の為に
いろいろなことをやっていた。

オープン当初は地元の雑誌社が毎月のように
取材に来て掲載してくれたし、目立ちたがりのオレは
恥ずかし気もなく露出し続け、長々と
インタヴューに答え喋りまくったものだ。
今思えばそれは一瞬だったが、時代の流れに乗って
ブームになったこともあって、壮大な目標を掲げつつ
根拠のない自信を持って完全に調子に乗っていたのである。

しかし、時を経てライバル店が乱立し、
飽きられ始めてからは集客に苦労する。

1999年3月にスタート。それからたった
6年で閉店するワケだが、後半でようやく
SNSが流行りだし、Facebookはまだメジャーではなかった。
だから、店の販促は相変わらず雑誌や
マンスリーフライヤーなど紙媒体が主であり、苦肉の策で
自らが広告塔となってラヂオ番組にレギュラー出演したり
挨拶廻りによる営業活動を行ったりと、地道なものだった。

そもそも、喫茶店にも関わらず
「スーパーフランクな接客」がウリだったし、一人で来る
カウンター族もたくさんいたりしたから、知り合いの数は
どんどん増えていって、ナゴヤなんてとても狭い街なので
徐々に身動きが取れないような状況に陥ってしまう。
例えば休日に若いコとフラフラデートでもしようものなら
翌日には既にその行動がバレていたりするのだから。

まあ、それは自分の性格によるところが大きいのだけれど、
世間のしがらみというやっかいなモノに捉われて、結局は
店を閉めた後、逃げ出すようにタイに移住することとなる。

実際、エラそうに
「ナゴヤをファッショナブルな街に変えてやる!」
などと吹聴していたので、実現できなかったのが
悔しかったし恥ずかしかった件もあるけど。

日本を離れてから十年程経つ。

「タイで何かやらかすのではないか?」と、
最初の頃は一部の人から思われていたに違いない。
しかし、現実的にはまったく何事もなくただ過ごしただけ。
ケーサツに捕まって世間を賑わさなかったのは幸いだが、
このブログに綴ってきた内容の通りまったくもって
お恥ずかしいとしか言いようのないくだらない日々だ。

尋ねられれば、仕方なく
「市場調査」とか「充電」とお茶を濁し続けたが、
それにしてはあまりにも長過ぎる時間である。
別に気にする必要もないのだろう。
でも、やはりちょっと後ろめたいという気もする。

ならばこんなブログなどやめてしまえばいいのに、
文章を書くことが好きなのでやめられない。あと、
世間との繋がりを少しは残しておきたいという思いも
ひょっとしたらあるのかもしれない。
結局、ダラダラと続けているワケで、ごくたまに
あの頃の知り合いから連絡があると、
「いったい何事か?」とビビるし、
「久しぶりにブログ読みました」などと聞くと、
とてもとてもとっても恥ずかしいのである。


SNSとはとても面白いし、興味深いモノだ。

馬鹿正直にFacebookに本名を登録しているので、
一瞬で見付かりメッセージも送られてくる。

しがらみがどーのと言っている割には7種類もの
SNSをやっているのはいったいどーいうワケか。
矛盾しているけれど、やはり他人と関わっていたから。
恥ずかしいと言いつつも、自分のこと、行動や言動を
誰かに知って欲しいからに違いない。

知り合いのFacebookやInstagramを見ていると、時々
(よくそこまでさらけ出せるな)と思ったりもするが、
何のことはない。オレも同じだ。もう若くはないから、
自撮りして写真を晒したりはしないだけの話であって、
発表し続ける限り私生活は他人に筒抜けなのだ。

少し前はコワイなと思う時もあった。
でも、今はもうそーでもない。数ある中で
どこで発表するかを選ぶだけ。

このブログについては、
タイという国に興味のある男子のみが対象だと思っていた。
まあ実際そーなのだろうけれど、その中には
元々の知り合いもいる、という件に気付いた。

だからと言って何も変わることはない。

今更そんなに恥ずかしがる必要だって
おそらくないのだろうなあ、と

ちょっと思っただけの話だ。

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2017年4月 9日 (日)

いきなりの身内の訃報に驚く

実は今タイに居る。

用件を詳しく説明はしないが、まあ
いろいろな準備の一環ということだ。

で、用事を済ませバンコクからパタヤにやって来たワケだが、
いくつか気になることがあったので、一応まだ続けている某
ウェブサイトの更新をしなくてはならないな、と考えていた。

「パヤタ総合研究所」という大袈裟なタイトルにも関わらず、
ハノイに移住してからは、物理的にパタヤの情報はほとんど
発信できなかったし、そのことで多少胸を痛めてもいたのだ。

しかし、いつものカフェでWIFIを利用すると、
ケータイに母親から叔母の訃報が届く。

つい五分程前であり、もちろん
少なからずショックを受けたけれども、
「通夜は明日葬儀は明後日」らしくて、
あまりにも急過ぎるので参列は断念し、
とりあえずこのブログに追悼の意を表したいと思う。

一般公開はしているものの、主な目的はあくまでも
自らの精神バランスを保つ為であり、所詮は
個人的な日記でしかあり得ないので、タイトルとは
かけ離れた内容でもどうかお許しいただきたい。


今年で80才になる叔母は母の姉。
リンパ系の癌を煩って数年前に手術しており、まあ
「いつかはこーいうこともあるだろう」と、
覚悟はしていたけれど、術後の経過は良好な様子で、
こんなに早く亡くなるとは予想外だった。

出身地の秋田からナゴヤに出てきたオレの母親と前後して、
同じ街で長い間暮らしてきたのだが、今更だけれど、
何故その地が選ばれたのかという理由を実はよく知らない。
知っているのは、幼稚園のセンセーだった母が
スクールバスの運転手だった亡き父と恋に堕ちたという話。

一方、叔母はほとんど浮いた話もないまま
喫茶店→炉端焼店→スナックという道を辿って、長い間
飲食業界で生きてきた。

天涯孤独は大袈裟だけれど、イメージ的には
独りでいることを良しとしている感じだった。
飲食店経営者の大先輩として尊敬していたし、
独りが好きな所にシンパシイを感じると共に
DNAを受け継いでいるような気もしていた。

「アンタは頼み事がある時しか連絡して来ない」
というのが口癖だったけれど、実際そーだったと思う。
幼い頃からとても可愛がってくれたし、
オトナになってからも変わらなかった。
無理なお願いをしたし、心配もかけた。
いろいろな面で本当にお世話になったのである。

明るい性格でファンキイな人だったが、
楽しい人生だったのは間違いあるまい。
苦労もたくさんしたはずだけど、
我々にそーいう部分は見せず、
独りで生きるオンナのプライドみたいなモノを
常に漂わせていたなあ。

想い出がいっぱいあるから、できることならば
お通夜で親戚達と語り合いたいのだけれど、
適わないのがとても残念である。

あとは、仲が良過ぎて仲が悪いというか、
微妙な姉妹関係だった母が気落ちしているだろう件が少し心配だ。

四姉妹の上から二番目と三番目だった叔母と母。しかし、
ファンキイな姉に対し妹は比較的しっかりしていたから、
どちらかと言うと母の方が姉のような存在だったのかもしれない。
とにかく、ハタから見るととても不思議な関係に見えた。
長い間近くに住んでいた件もあって、もちろん
お互いに頼り合っていたはず。ただ、正直に言うと
叔母の方が母親を必要以上に意識しているようにも見えたが、
今となってはもうどーでも良いことだ。


二十五年程前に父を亡くした時、
最初はまるで実感がなかったのに、しばらくしてから突然
「もっといろいろ話をしておけば良かった」と
激しい悲しみが襲って来たものだ。

近い身内の死とは、そーいうものなのかもしれない。

叔母は一人暮らしをしていたので、最近流行りの
「孤独死」というヤツである。

病気が発覚してからは永年携わった飲食業も引退し、
何人も友達を作って旅行に出掛けたり、一緒に
おいしいモノを食べに行ったりしていた。
孤独を愛していたワケでもないのか、と
少し意外だったものの気持ちはよく理解できた。

近所の人が心配してケーサツに連絡してくれて、
今朝方遺体で発見されたらしい。

いつ亡くなったのかは不明だが、
オレの夢枕には立ってくれなかった。

父親も癌、母方も癌家系。

ほぼ間違いなくオレも癌で死ぬのだろうなあ。
そして、当然のごとく孤独死することになる。

年を取ると、知り合いの死に
自分を重ねてしまうものなのだ。


Kさん。

こんなことになるなら、前回部屋に居候した時に
(実家近くの2LDKのマンションに引っ越してからは
日本に一時帰国する度居候させてもらっていた)
もっといろいろ話せば良かったですね。

いつまで経っても落ち着くことのない私のことは、
最後まで心配掛けさせたままでした。
まあ、これでも幸せに暮らしているので、
もう心配しなくてもだいじょーぶですよ。

どうか安らかに

眠って下さいね。

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