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2017年5月 9日 (火)

キッカケが受精というワケでもないのだけれど

GW真っ最中に日本へ一時帰国していた。

今回は仕事絡みでもあったし、最近では
もうその必要性を感じないので、例えば
SNSで帰国を予告したり、特定の誰かに
その旨を伝えることもない。

元々友達は少なかったしほとんどが女子。
いつの間にか皆結婚し子持ちとなった今、
なかなか会える状況でもないのが実情だ。

そんな中、
唯一可能性があるH嬢のことを突然思い出し、
日本についてすぐに連絡してみた。その為にわざわざ
ケータイのプリペイドをチャージしてまでである。

「私、子供できたんだよ〜。今七ヶ月なの」
「マヂか!それは良かったなあ......」

そー言えば最後に会った時、不妊に悩んで
オレの同級生が院長をしている産婦人科で
カウンセリングをしていたんだっけ?
あれが一年ちょっと前か。
そこは割とソフトな感じだったらしく、
病院を変えてスパルタにしたら二ヶ月でできた、と。
どうやら卵子に問題があって受け付けなかったみたいで、
一度取り出し注射器で強制的に受精させ体内に戻したと。

まあ、とにかくおめでとうございます。


というワケで、遊んでくれる女子がついに居なくなった。
残念だけれど仕方がない。

しかし、今回はいよいよ
(戻って来るのもありなのかなあ?)と思えた一時帰国。

日本を出てから既に十年が経とうとしている。
オレの居ない間に何があったかは知らないが、
東南アジア諸国に比べれば相変わらず窮屈なのは間違いない。
それでも今となってはいくつか魅力的な部分もあって、
食べ物とか生活しやすさとかコミュニケーションとか。
スーパー銭湯だったり字幕映画だったり街の空気だったり。
逆にネガティヴ要因は花粉や規制や足の引っぱり合い社会。
いいところもあればやっぱり悪いところもあるんだよねえ。

でも、十年前と今とでは確実に気持ちが違う。
海外で過ごした時間が何かを変えたのだろう。

もちろんすぐにではない。
まだいくらかの準備が必要なのだ。

そして、チョイスはおそらく二つ。

タイか日本か。

ここで敢えて予告しておく。
6月末にまた一時帰国する予定だ。

そこで決まるだろう。

おそらく何もかもが。

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十年振りに届いたメッセージに思う

「憶えてないかなあ」


今度は女子だ。

そー言えば去年このブログのコメント欄にS嬢から
かなり久しぶりにメッセージが届いていたけど、
結婚して何年か経っていろいろあったりすると、
「ふ」と誰かに愚痴りたくなったりするものなのだろうか。

「おそらくヘルプの信号に違いない」と勘ぐって、
悩み相談受ける気満々で待機していたものの結局
オレのキライな某Facebookで友達になって以降連絡はない。
まあ、人妻が海外暮らしのじーさんと
メッセージのやり取りをするのに相応しい場ではなかったか。

そういった意味で某mixiはいいのかもしれない。

マイミクでもなくなったしmixi nameも変更したのに
いったいどーやって辿り着いたのだろう?という疑問はあるが、
とにかく、人目に触れないこのSNSは今だからこそ価値を持つ。
週刊誌にlineのやり取りを暴露されていた不倫カップルも居たが、
あんなに恥ずかしいことはないからなあ。

いや、無論バレる可能性はあるにせよ、
「イマドキ?」のmixiなのである。

ちなみにY嬢とは不倫どころかまったく何もなかったが。

彼女とは今から十年以上前に合コンで知り合った。と言っても
飲食店時代の常連客の大学の同級生であり共通の知人もいたので、
あまりおおっぴらに手出しはできなかった。
にもかかわらず一度デートした記憶がある。
何しろ、オレ好みの小柄でフワフワした可愛らしいコだったのだ。

まあ、アッサリフラレたけど。というか、
好きな男性がいたのではなかったかなあ。
いずれにせよこちらが好意を持っていたのは確かなので、
「愚痴や悩みならいくらでも聞くよ」と返信しておいた。

結婚して子供が二人できたそうだから、おそらく
子育てや夫婦生活についての件だろう。何もなければ
オレなどにわざわざ接触してくるはずがない。

てなワケでこのブログを読む可能性もゼロではないので、
記事を書きつつひとつの答えを出してみることにしよう。


オトナになってからの人生のチョイスとして
大きく二つ挙げるとすれば、
「独りで生きる」か「誰かと共に生きる」のどちらかであろう。
「生きる」は大袈裟だとしてもその生活はまったく異なる。
例えば結婚もそのうちのひとつであるが、
「自由気ままに暮らす」か「自分を犠牲にして誰かと暮らす」か。

そう。恋人や結婚相手や家族と一緒に生きるには
互いを犠牲にして譲り合うことが必要となるのだ。

オレのように、結婚生活はうまくいかず、
恋人とも毎回長続きしないような人間は、きっと
前者に向いているのだろうし、結果的に
自らそちらをチョイスして来たこととなる。

そして、当然逆の人もいるワケで。

個人的考えとしては互いを羨ましがるべきではないと思う。
問題は後者の方が、チョイスしてから
「やっぱりやめた」と言いにくい点だろうか。
よーするに、どこかの時点で前者を選んだ場合でも、その後
恋人を作ったり同棲したりすることは割と気軽にできるけど、
後者を選んで同棲したり結婚したり、ましてや子供ができてから
「独りに戻りたい」と思ったとしても、
状況としてはなかなか簡単ではない、という話である。

寂しがり屋かそーでないか。
人生の目的をどこに設定するか。
縛り合うか否か。
そこに愛はあるのか。など、いろいろなことはあるにせよ、
やはり、オトナになればどこかの時点で選ばねばならないし、
その後も何度か逆を試してみることになる場合もあるワケで。

先日亡くなった叔母は生涯孤独な人だった。

晩年は友達を何人も作って楽しそうに付き合っていたけれど、
長く飲食店を経営していた間ずっと独り暮らしだったし、
仕事一筋の人で、浮いた話も一切聞いたことがなかった。
そして、そんな彼女をオレは何だかカッコいいと思っていた。

妹である母親は逆に独りで居たことがない。
父、つまり連れ合いとは仕事中も一緒だったし、
彼を病気で亡くした後は割とすぐに
恋人を作って、一緒に暮らし始めた。
おそらく独りでは居られない人なのだろう。

決めつけはしないけれど、人間ってきっと
どちらかのタイプに分かれるのではないか。

ただ、人生の途中で考え方が変わる場合だって
ひょっとしたらあるかもしれない。
オレがこの先結婚して子供を作って
家族幸せに暮らす可能性も決してなくはないし、
幸せだったはずの母親が離婚して子供を手放し、
残りの人生を独りで暮らす可能性だってあるし。

いずれにせよ、

決めるのは本人なのだ。

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